ボニー&クライドの仲間たちのその後
17歳でバロウ・ギャングに加わったウィリアム・ジョーンズは1933年9月にグループを離脱。自宅に戻り農場で働いていたところ、同年11月に逮捕され懲役15年の刑に。テキサス州ハンツビル刑務所で6年間を過ごした後、仮釈放となり、後に結婚、母親の住むヒューストンの家で生涯を過ごした。
映画「俺たちに明日はない」では、自分がさもボニーとクライドを裏切ったかのように描かれていることに憤怒、人格を中傷されたとして提訴したものの、主張は認められなかった。1974年8月、トラブルを起こした知人に射殺され死亡。享年58だった。
バロウ・ギャング最後のメンバーで、ボニーとクライド殺害に自身の父親を協力させたヘンリー・メスビンは、過去に犯した複数の殺人のうちの1件で起訴され、1935年12月に死刑判決を受けた。後に終身刑に減刑され、1942年3月に仮釈放。6年後の1948年4月、酒に酔って線路を渡ろうとしたところを対向列車にはねられ死亡した(享年36)。
またボニーとクライド殺害チームのリーダー、フランク・ヘイマーは任務終了後、テキサス州で労働者のストライキを抑えたり、州知事選挙の妨害を阻む任務などに就き、1955年7月、熱中症により71歳で死亡。2019年公開のネットフリックス・オリジナル映画「ザ・テキサス・レンジャーズ」でケビン・コスナーが彼を演じ話題となった。
