「死の商人」のように見られ、友人が離れていったことも……
――2001年に、独立する形で現在の愛翔葬祭を立ち上げられました。当時は関根さんのように、独立する方も多かったんですか?
関根 最近はだいぶ会社を設立するハードルが下がってきましたけど、当時は「明日から会社を始めよう」と簡単にスタートできる時代ではなかったですね。僕がいるエリアは公営の斎場があって、必要な道具がそろっているので環境として始めやすかったのは大きかったかもしれません。
あとは当時、葬儀会社は世間から「死の商人」のように見られていたと思いますし、「そんな商売をやっているやつとは、友達付き合いできない」と言われたこともありました。あまり積極的に自分で始める人は少なかったのではないでしょうか。まあ最近も、参入したもののうまくいかず事業売却しているところは多いです。
――現在は年間でどのくらいの葬儀を行っているのですか?
関根 200件ぐらいです。多い時は400件くらいでしたから、1日1件以上やっていた計算ですね。
――多くの葬儀に関わってきた中で、印象に残っている葬儀はありますか。
関根 独立前の話ですが「私の生前ビデオを撮ってほしい」と依頼してきたおばあちゃんのお葬式が印象的でした。
タバコをよく吸う麻雀好きのおばあちゃんで、性格も強気な人だったんです。ビデオカメラをまわしながら話を聞くと、お嫁さんの悪口から始まり、亡くなった旦那さんの女遊びの愚痴とか、とにかく文句ばかり言ってて。
とにかく人生経験が豊富な方で、ふと興味が湧いたので「おばあちゃん。人生って何ですかね?」と聞いたんです。すると、おばあちゃんはタバコをくゆらせながら「関根くん、人生ムダなんだよ。その無駄を楽しむのが人生なんだよ」と言われて、「かっこいいな」と思ったんですよ。
その後、おばあちゃんが亡くなって、お通夜も印象的でした。ご遺族も普通なら疲れているはずなのに「ばあちゃんと麻雀しよう」と言って遺影のところに雀卓を出して、朝まで楽しそうに麻雀をされていました。お別れの際も、棺に麻雀牌を入れていましたね。
その様子を見て、故人様が人生のムダを楽しみ切ったことをご家族様も分かっているから、笑顔で見送ることができているんだなと。葬儀は静かに故人様を偲ぶだけではなく、にぎやかに最期を見送る方法もあるんだと学びました。
