文春オンライン

村田修一はなぜ、「引退」という言葉を使わなかったのか

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/08/08
note

豪快な外見とは裏腹に繊細な男

 優勝争いを求めて移籍した新天地巨人でも苦難は続いた。

 移籍初年度の2012年には「5番サード」で先発出場しながら、2打席凡退したところで途中交代。原監督から試合途中に帰宅を命じられたこともあった。翌日には頭を丸めて現れるなど村田の方が大人の対応をしたことで、それ以上事態が深刻化することはなかったが、村田ほどのキャリアを持つ選手への処遇としては、かなりの違和感があったことも事実である。その後も不動のレギュラーとしてリーグ3連覇に貢献しながら昨オフの“自由契約事件”。計り知れない重圧と引き換えに勝利の喜びを教えてくれた巨人も、最後は村田に試練を与えた。

 村田は豪快な外見とは裏腹に繊細な男だ。極度の緊張感から試合前にはいつもエズいていた、というのは有名な話だし、ベンチ裏のゴミ箱に大量の唾を吐くために球場職員から嫌がられていた、という逸話もある。そんなデリケートな男が、度重なる「あんまりな扱い」に耐えてこられた要因の一つはホームランバッターとしてのプライドだろう。自身の技術への自信さえあれば、周囲の評価が多少揺れたって持ちこたえられる。

ADVERTISEMENT

「人には生まれ持った打球の角度がある。自分は良い角度を持っていると思っている」

 昔から村田が語っていたことだ。確かに村田の打球はヒットの延長がホームランというタイプとは明確に違った。公称177センチ。175センチの筆者と並んでもあまり変わらない印象だったので、実際はもう少し小さいはずだ。野球選手としては決して大きくない体から、限られた者だけにしか打てないアーチを幾度もかけた。その自負が決して強靭ではない村田の心を支えてきた。

ホームランバッターとしてのプライドを持っていた村田修一 ©文藝春秋

わずかな心の揺れと困惑

 僕は今回の戦力外通告からの一連の騒動、オファーが届かない時期を通し、村田の自尊心が大きく傷ついているのではないかと心配していた。誰だって「誘いがない」「必要とされていない」という状況はつらい。まして自由枠でプロ入りし、請われて巨人にFA移籍した男だ。野球ができなくなるかもしれない恐怖は、これまで直面してきた困難とは次元が違う。でも、8月1日の会見でも「野球の最大の魅力はホームラン。残りの試合、1本でも多くホームランをファンの方に見せることができれば」と本塁打への執着をのぞかせた姿を見て、ホームランバッターとしての誇りが少しも失われていないことがわかって安心した。と同時に、

「本当にこれで終わりなのかよ」

 という思いが改めて湧き上がったのだ。現実的に見れば、来年村田がどこかのユニホームを着て野球をしている可能性は限りなくゼロに近いだろう。本人も戦力外通告を受けてからの約10カ月間にきちんと気持ちの整理はつけているに違いない。でも自身の能力を客観的に見て、どう考えてもまだできる……。そんなわずかな心の揺れと困惑が「引退という言葉を使わない」という選択になった気がする。

「できる」という選手がいて、「見たい」というファンがいる。もちろんそんな単純な図式でユニホームが与えられるほどプロ野球は甘くないが、わずかな可能性を信じてみたくなる。今のNPBを見渡した時に、そこに村田の席がないとはどうしても思えないからだ。

※「文春野球コラム ペナントレース2018」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイトhttp://bunshun.jp/articles/-/8356でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。

村田修一はなぜ、「引退」という言葉を使わなかったのか

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春野球をフォロー
文春野球学校開講!