司法の判断
遺族である山本は事件後、少年と母親に対して損害賠償請求訴訟を起こしていることはすでに述べた。その一審判決が2025年3月に福岡地裁で出た。私が傍聴席に座っていると、斜め前にマスクをした山本が腰を下ろし、テレビの静止画像の取材が数分入った。それが終わると、若い司法記者たちがわらわらと入ってきた。
被告席は無人。振り返ると誰もいない。そういえば一階にあるその日の法廷スケジュールを告知する開廷表には弁護士の名前しかなかった。法廷の入り口の札にも弁護士の名前のみ。裁判は非公開ではないが、遺族は事件時から氏名を秘している。マスコミに出るときも顔も出していない。裁判日程も新聞等に載ることはなかった。ゆえに実質的に「非公開」に近い裁判になったのだろう。
結論を先に書けば、この訴訟は加害少年の母親の監護・監督責任を問うものだが、裁判所はそれを認めなかった。加害少年は公的な児童自立支援施設や少年院等を転々としてきたため、母親には監護・監督責任や事件との因果関係はないという論理である。監督する義務は更生施設等にあるというものだ。
私は耳を疑った。保護施設等に「丸投げ」した保護者には責任はまったくないというのか、親や保護者と保護施設は綿密な連絡を取り合ってこそ、更生が功を奏するのではないか。少年はいずれ施設を出ていかなければならないのだ。それが親元である可能性も高いだろう。裁判所は親が十分な対応をしてこなかったことに疑問を呈したものの、息子が人を殺した事件の要因としては認めなかった。
記者会見で、山本は、「赦せない。がっかりです。言葉が出てきません。母親に責任がないなんてどういうことですか。くやしくてくやしくて、たまりません……(加害者の)母親は今頃、喜んでいるのでしょうか。ショックです。認められないなんて……。これが司法なんですか……」
言葉を詰まらせながら、記者の質問に答えた。
一方で、少年に対しては約5400万円の賠償命令が出た。このことについて、山本は消え入るような声でマイクに口を近づけた。
「少年は支払う気がない。支払わないと思う。心情伝達にもそう書いてあった……」
記者たちからは控訴するのかという質問が相次いだが、加害少年が「心情等伝達制度」の「心情等伝達結果通知書」でそう述べていたことについての質問は最後までなかった。
山本と被害者の兄は、控訴期限の4月末日に、加害少年の母親に対してだけ控訴した。
