AKB48全盛期、印象的だった先輩は?
――当時の印象に残っている先輩はいますか?
上枝 大島優子さんです。初めてお会いしたときに、明るく「上枝ちゃん」と声をかけてくださって。名前を覚えてくれていたことも、壁を作らない空気も、本当に救われました。当時はAKB48での空気がまだ掴めなくて「どう振る舞うのが正解なんだろう」とずっと考えていました。NMB48とは全然空気が違うし、自分から前に出る感じでもなく、遠慮していた時期だったので本当にありがたかったです。
あとは、宮澤佐江さん。昔から憧れていた方だったので、お話ができたときは本当に嬉しかったです。いまも舞台で活躍されていて、「いつかちゃんと共演したい」と思える存在ですね。
「選抜に入ること=ゴール」ではなくなっていった
――じゃんけん大会での選抜入りは、上枝さんのキャリアにとって大きなターニングポイントですよね。
上枝 大きかったです。その後、NMB48表題曲選抜には入れなかったこともあり、だんだんと自分の中で「選抜に入ること=ゴール」ではなくなっていったんです。そういう軸ではなく、もっと自分らしさを打ち出せる何かを積み上げていこうって。
馬が好きだったので競馬の仕事に力を入れたり、語学を勉強して海外に視野を広げたり、選抜以外で自分を活かせる場所を探していました。でも、その“次へ進む準備”をしながら、心の中にはずっと葛藤もありました。
――葛藤、ですか。
上枝 アイドルは、人気が「数字」で見えてしまう世界です。握手会の列の長さやブログのコメント数が、そのまま自分の評価になりますから。なので、比べたくなくても、比べざるを得ない。マネージャーさんから「もっと頑張らなきゃ」と言われることもあって、プレッシャーは常にありました。
――アイドル活動と学業を両立されていたこともあって、心身の負担もかなり大きかったのではないですか。
上枝 はい。短大に通いながら公演やイベントに出ていて、単位をまとめて取るために休学したり復帰したり。そこに祖父母の死も重なって、心の余裕がほとんどなくなる時期もありました。
ステージやファンの前では笑顔でいないといけないのに、握手会で意識せず“塩対応”になってしまっていたこともあったと思います。
