自分がこの状況に放り込まれたら逃れられるのか
──扱っていること自体は複雑なんですけれども、読み味としてはそこまで複雑さは感じないんです。すごく読みやすくて、一気読みできる。それがなぜかというと、葉真中さんが作り出された「宗太」という主人公が夜戸瑠璃子に巻き込まれていくのが説得力抜群に描かれているからなんです。
彼は北海道出身の若者。すぐ上のお兄さんに障害があって、お母さんはそのお兄さんにかかりきり。家族からちょっと必要とされてない感がある。高校卒業後、工場に就職するけれど2年で辞めてしまい、アルバイトを転々として経済的に困窮する中で、ある人を介して瑠璃子に出会ってしまう。葉真中さんはこの宗太にシンパシーを感じながら書かれたんですか?
葉真中:シンパシーを感じる部分と、若干突き放したというか、愚かだと思う部分と両方ありますね。でも、その愚かな部分を含めて人間だなという思いがあります。物語の中で、宗太が心の弱さゆえに悪い選択をしてしまう場面が何度もあるんですよ。その心の弱さは自分にもあるなって思っています。果たして自分がこの状況に放り込まれたら逃れられるのか、と。
「俺だったらここで逃げてる」とか「適切に対応してる」って思うかもしれないけど、人間って、極限状況に置かれた時に適切な判断や選択ができるのかなっていう疑問が僕にはあって。後から見たら過ちを犯している。でも、その場その場では、その人なりの合理性だったり、切実さだったりで選んでしまう。目の前で暴力をちらつかされて「こうしなさい」って言われた時に逆らえるのかどうか。結果論としてはこの人は愚かに見えるけど、その場では説得力がある。そういうバランスで描けるキャラクターとして宗太を作った感じですね。
──一足先に書店員さんにも何人か読んでいただいたんですけれども、「現実の事件を下地にした作品でありながら、あまりにもリアルで説得力があり、読むほどに心が折れていく」というようなコメントがありました。自分が同じ状況に置かれたら、そんなに賢い選択をし続けられないだろうなって思っちゃう小説なんですよね。
葉真中:普段、僕はミステリー小説を書いていて、いわゆる殺人事件解決型のミステリーって、賢い犯人が賢い事件を起こして、それをもっと賢い探偵が解決する。それはフィクションとして面白いんだけど、実際の現実の事件を調べてたり、裁判の傍聴なんかに行くと、賢い犯人ってほとんどいないんですよ。
ちょっと普通に考えたらぎょっとするような選択、ぎょっとするような倫理観、ものすごくずさんな計画。でも、スルスルスルっと犯罪が成立してしまうことが現実は多くて。今回の『家族』に関しては、そういうある種の理不尽さというか、人間のちょっと愚かしい部分がもとで大きい犯罪に絡め取られていく、みたいなリアリティを描いてみたいと思いました。
