単純にしたら、この事件をモチーフにする意味がなくなる
──巻末に参考資料がいくつか並べられていて、例えば文藝春秋から出ている小野一光さんの『家族喰い』なんかも参考にされていらっしゃったと思うんですが、この辺の資料はどのように読んで、ご自身の小説に落とし込もうとされたのでしょうか?
葉真中:まず、現実に起きた事件を題材にする以上、その事件を調べなければいけない。小野さんの『家族喰い』だったり、この事件を扱ったノンフィクションの本は、実はそんなに多くないんです。まとまったルポルタージュとしては2冊、研究本が1冊、あとは新聞などの記事しかなくて。逆に言うと、これらの本の中に事件の概要はかなり詳細にまとめられていて、読めば大枠は掴めるという状況でした。
ただ、これらの資料にあたって、この事件そのものを小説化した人が今まで誰もいなかった理由が、なんとなく分かったというか。とにかく複雑なんですね。
──すごく入り組んでいますよね。
葉真中:とにかく関係者の数が多いんです。現実の角田美代子は疑似家族を作る上で、婚姻関係や養子縁組なんかを利用して、ものすごく家系図を複雑化していくわけです。これを丁寧に、彼女の幼少時から生き様を追うような分かりやすい形のモデル小説にすると、多分1000枚以上の大作になってしまう。
この複雑な事実を、小説で語りうる物語にするための軸を探す作業が最初の仕事でした。実は最初は、この事件があまりにも複雑なので、換骨奪胎して、単純な事件に置き換え、尼崎事件っぽい全然別のフィクションにしようと思ってたんです。でもそれを書いているうちに、「この事件に私が強く惹かれた理由は、その“複雑さ”にあるんだろうな」と。
複雑な人間関係が入り組むからこそ恐ろしいし、この複雑さを単純にしてしまったら、尼崎事件をモチーフにする意味がなくなってしまうと気づいて。そこで、主犯である夜戸瑠璃子ではなく、物語のなかでそれに巻き込まれる人を1人、主人公として立てて、その人物を軸に書いていこうという形に構成しました。
