知ってるけど知らない

 いきなりですが、「男(おとこ)」という語と「男性(だんせい)」という語の意味の違いを知っていますか。こんなバカげた質問をされるとちょっとびっくりして身構えてしまうかもしれませんが、みなさんこの二つの語の意味は知っていますよね。逆に、これらの語の意味がわからないという人を見つけるのが大変なくらいです。もちろん、両者の違いもなんとなくわかるはずです。おそらく、「男性」の方がかしこまった言い方で、「男」の方がよりカジュアルでちょっと乱暴な言い方ということになるでしょうか。

 では、次に、この説明ではちょっと手に負えない事例をニュース報道から取ってきてみましょう。(1a)と(1b)を比較してみてください。「男性」と「男」が意識的に使い分けられているのがわかるでしょうか〈注2〉。

(1)
 (a) 警察は現場にいた男から事情を聴いています。
 (b) 警察は現場にいた男性から事情を聴いています。

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 よく考えると不思議です。もし先ほどの説明が正しいとすると、ニュース報道ですから、両方ともかしこまった言い方の「男性」になっていてもいいはずです。少なくとも、カジュアルな「男」の方は使われないはずですが、(1a)では「男」が用いられているのです。(1a)と(1b)の違いはわかりますか。(1a)では、警察は現場にいた人物を犯人ではないかと疑っているのに対し、(1b)では、警察は現場にいた人物を疑っていないことを示唆しています。ためしに、両者を入れ替えた文を作ってみましょう。

(2)
 (a) 昨夜、歩行中の男性が男に後ろから刃物で切り付けられました。
 (b)??昨夜、歩行中の男が男性に後ろから刃物で切り付けられました〈注3〉。

 どうでしょうか。(2b)の文は何か変ですよね。ただ「男性」と「男」を入れ替えただけなのに、(2b)は(2a)と違って不自然な感じがします。それは、報道では容疑者(男)と非容疑者(男性)を明確に使い分けているからです。

 ここまでの説明を読んでどうですか。びっくりしませんでしたか。こんな使い分けをしていたなんて知らなかったと。でも、ここで気づいていただきたいことは、知らないと思っていることを実は知っていたことなのです。もし本当にこの使い分けを知らなかったら、(1)の意味の違いに気づけなかったはずです。ちょっと(1b)の方がかしこまった言い方だけど、意味は同じと思っていたはずなのです。

 しかしながら、皆さんは両者の違いをはっきりと認識できたはずです。ということは、もうすでに「男」と「男性」の意味の違いを知っていたということを意味しています。なぜ(2b)は不自然だと感じることができたのでしょうか。それは、皆さんがこの使い分けについて知っていたために、容疑者が非容疑者に切り付けられるのは常識的に考えてありえないと判断したからなのです。

 そしてこのことが示しているのは、私たちは、自分が使っていることばについて知っているにもかかわらず、それを知っていることを知らない。もっと正確に言うと、私たちが普段使っていることばに関する知識の多くは私たちの無意識の中にあり、それを自覚することは通常できないということです。そして言語学者は、このような無意識の中にある自覚できない知識がどのようなものであるかを研究しているわけです。


〈注1〉Christiansen and Chater (2023) p. 208
〈注2〉菅井三実 (2015) pp.21-22
〈注3〉言語学では例文の前に記号(「*」「??」「?」)が付されることがあります。「*」はその表現がまったく容認されないこと、または非文法的であることを表し、「??」はかなり不自然であることを表し、「?」はちょっと不自然さがあることを表しています。

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