AIで翻訳も通訳もできるこの時代に、わざわざ英語を勉強する必要はあるのか。言語学者・町田章さんの『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)は、その疑問に認知言語学で答えている。
そもそも言語学とは。いったい何を研究しているのか。本文より一部抜粋のうえ、「無意識の世界の一端」をお見せする。
◆◆◆
言語学者はなまけもの?
本章では、私が専門としている認知言語学という言語学の一分野の立場から、特に、ことばと思考の関係について考えていきたいと思います。そして、外国語を学ぶということは、とりもなおさず、異なるものの見方や捉え方を学ぶことになる、翻ってそれは、自分自身を客観的に捉え直すことにもつながるということを一緒に考えていきたいと思います。
実は、他の分野の研究者から笑われるかもしれませんが、言語学という分野においては、信じられないほど合意形成がなされていません。例えば、中学校で習う主語や動詞のような概念の定義ですら、いまだに言語学者全員の合意がとれているわけではありません。そのため、異なった学派の間では議論が噛み合わないことすらあります。
実を言うと、単語や文などの基本中の基本の概念ですら、統一された見解がない状況なのです。もちろん、これは言語学者の怠慢が原因なのではありません。研究が進めば進むほど次々に新たな問題が明らかになり、結果として、このような状況になっているわけです。
例を挙げますと、シベリアやアラスカの一部に住むユピックの言葉では、「彼はまだ、トナカイを狩りに行くということを、再び口にしていなかった」という意味を一つの語(tuntussuqatarniksaitengqiggtuq)で表すことができます〈注1〉。その一方で、日本語の「やったー!」などは一語文と呼ばれることがあり、その場合は短いながらも文として扱われることがあります。
もちろん、全く合意事項がないというわけでもありません。このような現状においても、少なくとも以下の二点に関しては、言語学者間で共通の理解が得られていると私は思います。それは、話者が持つ言語知識の大部分は無自覚の知識(無意識)であるという点と、言語は形式(音声)と意味を持つ記号体系であるという点です。まずは、言語知識は無自覚であるというところから始めてみましょう。
先日、友人からこんなことを言われました。「言語学って、何か研究することあるの? 普通にみんなことばをしゃべってるわけだし、わからない言葉があれば辞書で調べればいいわけじゃん。何も研究することないんじゃない?」
おそらく、皆さんの中にも「言語を研究している」と聞いたら真っ先に同じように考える人がいるでしょう。悔しいことに、物理学などの場合はこんなことは起こりません。自然界には数多くの謎が残されていることを誰もが理解していますし、物理学者はそれらの謎に挑んでいると考えているからです。言語学の場合は違います。私たちが普段使っていることばの中には解明すべき謎など何もないと多くの人たちは思っているのです。
もちろん、このような認識は必ずしも正しくありません。言語学も物理学と同様、ことばに関する未解決の謎に取り組んでいるからです。ことばは身近な存在です。でもだからと言って、多くの人々が思っているほどことばの研究は簡単ではないのです。なぜなら、私たちが普段使っていることばに関する知識(ことばを使用するために話者が知っていること)はその多くが無自覚の知識であり、その本質は、簡単には掘り起こせない無意識の闇の中に沈んでいるからです。具体例を使って考えてみましょう。皆さんの無意識の世界の一端が見えるはずです。