「着物も何もみんな脱がされちゃって…」おふじさんが語ったモロッコとの結婚生活
「羽振りがよさそうに見えても、家の中は火の車、博奕の時なんか、私と子供がカタに入れられたみたいになって旅館に置いてけぼり、着物も何もみんな脱がされちゃってね(笑)。龍彦が結核になっても、ペニシリンを1本か2本、打ってやっただけでした。別れたのは龍彦を亡くしてというより、辰ちゃんに女ができたからです。女にはモテたんですよ。決して美男子じゃなかったけど気持ちの優しい人だったから。女はいっぱい作ってましたね」
それでもモロッコは、別れたあとも死ぬまでおふじさんの籍を抜かなかったという。最期の時も別の女と一緒だったが、モロッコはおふじさんに、
「オレがいくら女作っても、うちの若い衆たちは、おまえのことしか『姐さん』と呼ばないんだよ」
とボヤいたという。
そしてモロッコの死後、32年が経ち、還暦となった彼女の口から端なくも漏れ出たのは、
「私は今でもあの人のことが好きだから……」
という恋する乙女のようなつぶやきであった。
モロッコの弟分“塚越の辰”をヒットマンが急襲
モロッコの辰の舎弟で、戦後の愚連隊華やかなりし時代、モロッコ、長谷川辰五郎とともに「横浜三辰」として名を馳せた大物が“塚越の辰”こと塚越辰雄である。この塚越の姐さんから聴いた話にも、私は唸らされた。思い込んだら命がけというか、この姐さんの男顔負けの気丈さ、惚れた男への一途さも凄かった。
塚越の辰は、モロッコが稲川聖城の若い衆となってからも、愚連隊を通し、モロッコの死後も、「オレの兄貴は生涯モロッコだけ」と組織入りを拒んで、一本独鈷を貫いた男だった。
事件が起きたのは、モロッコの死から6年後、昭和36年4月29日のことである。同日夕、塚越の命を狙って、5人のヒットマンが、横浜・真金町の塚越邸を急襲したのだ。その時、塚越は座敷で軽い鼾をかいて昼寝中で、夫人は外に乾した布団を取り込んでいる最中だった。
