「妻に抱きつかれたまま、ヒットマンたちと激しい撃ちあいを…」
ガラッと玄関の戸が開いた瞬間、夫人は殴り込みと察したというから、さすが男稼業の妻だった。布団を放り投げ、座敷に駆け込むや、寝ている夫の上に覆い被さったのだ。その直後、男たちの足音とともに「パーン」と銃声があがり、弾丸が夫人の耳元をかすめていく。
塚越もガバッとはね起き、枕元の2丁拳銃を手にとり、妻に抱きつかれたまま、その背中越しに、ヒットマンたちと激しい撃ちあいを開始する。「パーン」「パーン!」その間、夫人は塚越に覆い被さったままだった。銃撃戦は間もなく終わり、5人のヒットマンもすばやく去っていった。
2丁拳銃の塚越はかすり傷ひとつ負わなかったが、夫人は腰のあたりを撃たれていた。
「もう無我夢中で、私は撃たれたことさえ気がつきませんでした。骨盤に当たったんですが、深手ではなかったんです。傷跡は残りましたけどね」
妻は「カタギになってください」と…そのとき、塚越が見せた思わぬ反応
夫人は笑って話してくれたが、彼女が、懲役5年の刑を務め終えて帰ってきた夫に、
「カタギになってください」
と強く迫れたのも、その傷跡があってのことだったろう。躰を張って亭主の命を守ったのだから、塚越にすれば、妻に頭が上がらなかったのも無理はない。
そうは言っても、45歳近くまで愚連隊稼業を張ってきた身、簡単に足は洗えないだろうな――と、夫人も半ば“ダメもと”の気持ちで、一種の賭けだったという。夫に対して、大組織のスカウトがあるのも、彼女は知っていた。
だが、塚越の決断は早く、
「いいよ。おまえの言う通りにするよ。カタギになる」
と言ってきたから、これにはかえって夫人のほうがビックリしてしまった。
「主人は、もう愚連隊の時代じゃない。モロッコの兄貴の死とともに、オレたちの時代も終わったんだよ。ここいらが潮時だろう――って、言ってましたね」
夫人は夫より3つ年上の姉さん女房で、塚越も文字通り金のワラジを履いて探しあてた女性であったのだろう。塚越の辰が世を去ったのは、夫人を取材する2年前、昭和60年11月8日のことで、享年62であった。
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“愚連隊のカリスマ”として有名になった「モロッコの辰」こと出口辰夫氏。300人の不良と大乱闘したこともあるという。その驚愕のエピソードとは――。以下のリンクから続きをお読みいただけます。
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