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鍬原拓也、「巨人ドラフト1位」の運命をきり拓く男

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/08/18

中学時代のチームメイト岡本和真が語る先輩・鍬原

 近年の「巨人のドラフト1位」といえば、今季大ブレークを果たした岡本和真が思い出される。持ち前の長打力を開花させた岡本は、今やスターの仲間入りを果たそうとしている。そんな岡本と鍬原は、中学時代に橿原磯城リトルシニア(奈良)で同じユニホームを着ていた。学年は鍬原が1年上で、鍬原が3年生だった夏には中学硬式最高峰の大会であるジャイアンツカップで3位に輝いている。

 岡本に当時の鍬原の印象を聞いてみたことがある。岡本は苦笑いを浮かべ、「ヤンチャな先輩でした」と冗談交じりに語っている。鍬原も自身の中学時代を「いろんな人に迷惑をかけました」と振り返る。「野球をやめる」と言って、母・佐代子さんを泣かせたこともあった。

「他の高校からの推薦の話もいただいていたんですが、中学の指導者の方から『性格のことを考えると、厳しいところよりのびのびとプレーできるところのほうが向いている』と言われて、北陸高校(福井)に進みました。ずっと片親で生きてきたので、寮生活で親のありがたみがわかりました」

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 北陸高校時代からプロ注目の投手だったが、「大学は金がかかるから自立しよう」と一度は野球を諦める覚悟も固めている。それでも周囲の勧めもあって、中央大に特待生で進学。そして大学では母・佐代子さんの好きな色である紫色のグラブを使い、平裏には「親孝行」と刺繍を入れた。こんなエピソードを聞けば、応援したくなるに決まっている。

シンカーを武器に、いつか1軍で戦うために

 鍬原という投手の最大の個性は、シンカーではないだろうか。もともと中学3年の春先までサイドスローだったこともあり投げていた球種だったが、スリークォーターになってから縦に鋭く落ちるようになった。握りを見せてもらうと、中指と薬指を大きく開いてボールを挟み、「抜きながらひねる」という感覚で投げるのだという。鍬原はシンカーへのこだわりをこのように語っていた。

「サイドスローには多いですけど、上から投げるピッチャーでシンカーを投げる人って少ないじゃないですか。ほぼヒジに負担はないですし、コツさえつかめば落ちます。もし僕が活躍して、シンカーを投げるピッチャーが増えたらうれしいですね」

 この言葉を聞いて、再び「鍬原拓也」という名前から滲み出るフロンティアスピリッツを思い出した。そして本人も「鍬原」という珍しい自身の姓について、調べてみたことがあるという。

「全国に60人くらいしかいないそうです。じいちゃんは九州出身なんですけど、もともとは山口県のほうから流れてきたみたいですね」

「巨人のドラフト1位」の運命は、今さらどうあがいても変えようがない。だが、たった1年で成否の結論を出すにはあまりにも早すぎる。タイプ的には則本昂大(楽天)のように、上背はなくても強靭なボールとメンタリティーで打者を抑え込む将来像が浮かぶ。

 いつかは、「ドラフト1位」の重圧に耐えられるだけの投手に――。鍬原拓也は「ファーム」という名の農場を鍬で耕し、自分の未来を拓こうとしている。

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