外から見るか内から見るか
例えば、あなたの友人がいつもと異なる髪型をしてきたとします。それを見たあなたは(80)のどちらかを言うとします。あなたならどちらの表現を使うと思いますか。
(80)
(a) その髪型いいね。
(b) 私その髪型好き。
この両者の違いには視点の取り方が関わっています。(80a)のイメージの中には話し手は出現せず、相手の髪型だけに注意が向けられています。図24(a)と同じです。
それに対して(80b)のイメージの中には話し手がいて、その話し手が相手の髪型を見ているという構図になります。つまり、前者が事態内視点、後者が事態外視点なのです。
そして、もちろん、どちらかが正解ということはないのですが、多くの日本語話者は事態内視点をとっている(80a)のように言います。事態外視点をとっている(80b)はどこか自分の感情を客観的に描写しているような感じがあり、日本語話者にはあまり好まれないのです。
興味深いことに、英語ではこの傾向が逆になります。(81)を見てください。英語話者は普通(81a)ではなく(81b)のように言う傾向があるのです。
(81)
(a) Your haircut is nice.
(b) I like your haircut.
重要なのは、相手の髪型に評価を下しているのは紛れもなく話し手、つまり、「私」です。それにもかかわらず、日本語ではこの「私」を表現しないほうが好まれ、英語では「私」を表現するほうが好まれるのです。
(81)は、傾向の違いはあるものの、事態内視点でも事態外視点でも表現できる事例でしたが、次に日本語では事態外視点で表現することにかなり違和感がある例を見てみましょう。 (82)はともに英語では普通に見られる表現です。(82a)は客観的な判断として、(82b)は話し手の主観的(個人的)な判断として述べているというニュアンスの違いはありますが、基本的に両方とも用いられます。
(82)
(a) The lecture is boring.
(b) I find the lecture boring.
(83)は(82)を日本語にしたものですが、事態内視点をとっている(83a)は自然な日本語であるのに対し、事態外視点をとっている(83b)は何とも言えない違和感を感じます。どこか感情を持たないロボットがしゃべっているような感じなのです。
(83)
(a) この講義は退屈です。
(b)?私はこの講義が退屈だと感じます〈注2〉。
もちろん、日本語と英語の間で視点のとり方の傾向に差異が見られない場合も多くありますが、両者で視点のとり方に偏りがある場合には、一定の傾向が見られます。これまでまでの例で示したように、日本語と英語で視点のとり方が異なる場合、日本語では事態内視点に、英語では事態外視点に偏りがありそうなのです。
ついでながら、なぜ一般に知られた一人称視点・三人称視点、主観的把握・客観的把握という用語を用いず、ここでは事態内視点・事態外視点という用語を用いるのかを(82b)(83b)を用いて説明します。
この(82b)は、Iという一人称代名詞を用いていますが、一般的な言い方では三人称視点ということになります。また、(83b)は私個人にのみ当てはまる主観的な意見を述べていますが、専門用語では客観的把握となります。つまり、実態と用語から得られる印象が逆転してしまっているのです。私がこれらの用語を避け、事態内視点・事態外視点という用語を用いるのはこの乖離を避けるためです。
〈注1〉池上嘉彦 (2000) pp.291-292
〈注2〉言語学では例文の前に記号(「*」「??」「?」)が付されることがあります。「*」はその表現がまったく容認されないこと、または非文法的であることを表し、「??」はかなり不自然であることを表し、「?」はちょっと不自然さがあることを表しています。