焦ったチャールズはキャリルを置き去りにしたまま元々乗っていた車に戻り時速160キロで逃亡。ここから保安官と応援の警察車両を交えたカーチェイスが始まる。しかし、ワイオミング州ダグラス付近で警官が撃った弾がチャールズの車のフロントガラスに命中。砕け散ったガラス片を頭部に受け血だらけのチャールズは運転不能となり、その場で逮捕される。1958年1月29日のことだ。

人生最後の失敗

 この後、チャールズはワイオミング州からネブラスカ州に移送される。これが運命の分かれ道だった。2つの州で殺人を犯したチャールズが、どちらの州で取り調べと裁判を受けるかは本人に選択権があった。

 逮捕された時点で自分が死刑になることを確信していた彼はさほど深く考えず、出身地であるネブラスカ州をチョイスしたのだが、チャールズは知らなかった。当時のワイオミング州知事、ミルワード・シンプソンは死刑制度反対派だったのだ。

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 実際、1953年に同州で婚約者と牧場の従業員を殺害した罪で死刑判決を受けたハーシェル・リグルという男は一度死刑判決を下されたものの、同知事の命により終身刑に減刑されている。もし、チャールズがワイオミング州での裁判を望んでいたら、運命は変わっていたかもしれない。

次の記事に続く Tシャツは飛ぶように売れ、ファンクラブまで結成されたが…10人を殺害“カリスマ犯罪者”になった19歳少年の「悲惨すぎる末路」(海外の事件・1958年)