「カリスマになった」犯罪者の末路
裁判が進むにつれ、チャールズは若者たちの間でカリスマとなっていった。本人がそう望んだように、彼らはチャールズとジェームス・ディーンのイメージを重ね、そのTシャツは飛ぶように売れ、若い女性によるファンクラブまでも結成された。しかし、1958年5月23日、陪審員が下した判決は有罪・死刑。それから1年1ヶ月が過ぎた1959年6月25日、ネブラスカ州リンカーンのネブラスカ州刑務所で電気椅子により処刑された(享年20)。
慌てふためく様子は一切なく、執行前には「電気椅子のベルトが緩すぎる」と担当者に告げ、ベルトを締め直させた後、感電死したそうだ。
一方、キャリルは1958年11月21日に有罪判決を下されたものの、事件当時14歳という年齢を考慮され終身刑に。ネブラスカ州ヨークのネブラスカ女性矯正センターで17年半服役、模範囚とみなされ1976年6月に仮釈放となった。その後は用務員助手や乳母として働き、2007年に機械工の男性と結婚。ミシガン州ヒルズデールに居を構えた。
この間、キャリルは無実を訴え、何度も恩赦を請求。支援者の中には、殺害された犠牲者の遺族もいたが、訴えは通らず、直近では2020年2月にネブラスカ州恩赦委員会によって恩赦を拒否されている。
キャリルは2025年9月現在、82歳で存命である。