「サバイバリズムは、現代の諸問題を読み解く上で、最も適切なキーワードの最右翼となった」
著者はこう宣言し、個人の生存スキルを高める新たなライフスタイルに過剰な期待を抱きながら社会課題を解決しようとする風潮に釘を刺す。また分断と孤立の中で自らの生存が脅かされていると感じる人々の強い不安を養分に成長するオンラインサロンやポピュリズム政党などの流行現象を、手際よく俎上に載せてゆく。
それにしても、批評の用語としてはさほど浸透していないこの「サバイバリズム(生存主義)」という言葉に強い説得力を感じるのはなぜか。人生とはそもそも過酷な生存競争であり、「強くなければ生きていけない」という半ば本能的な信念を、大なり小なり誰もが持ち合わせていることがひとつの理由ではあろう。
だがそれ以上に、「そのためなら何をやってもいい」という空気が既に社会に蔓延し、失ってはいけないものまで壊れ始めている事態を現に感じているからではないか。著者の狙いも、サバイバリズムが歯止めの利かない生存“至上”主義として暴走し始めた世相を炙り出す点にあるようだ。
印象的なエピソードのひとつが、「サイコパス」への憧れだ。「精神病質者」とも訳されフィクションでは凶悪殺人犯として描かれることも多い存在だが、専門家によると、こうした極端な逸脱者はごく少数で、実は企業のCEOなど成功を収めている人も多いという。
著者は、近年のビジネス書が効果的な世渡り法として「サイコパスモード」を推奨していることに注意を促す。いわゆる「鈍感力」や「スルースキル」など、恐怖心が欠落し非情になれる特性は、人間関係に伴う心の痛みから人を解放するようにみえるのだろう。
陰謀論を吹聴するドナルド・トランプのような政治家が日本でも人気があるのは、サイコパスモードの彼が「無敵の人」のようにみえるためかもしれない。
確かに、生存の確率を高めるためには、できるだけ身軽になった方がいい。多くの人が生き残ることへの強迫観念に囚われる時、足枷や重荷になるような社会規範(例えばマイノリティへの寛容さ)を、敢然と捨て去ることが英雄的で憧れの対象にみえてしまうのか。
生存至上主義に居直る暴君たちに蹂躙されないためにも、今を生きるわたしたちは本書を読んで自分たちの置かれた現在地を正確に知る必要がある。
なお、タイトルの「ひとりカルト」とは、これらサバイバリズムに繋がる現象が個々のスマホ画面で完結していることを指す造語だという。政府や企業の保護機能が低下し、個人がより大きな生活上のリスクを背負う「個人化」の時代において、生存主義への信仰もまた個人化されているというのだ。この重大な問題については、次回作でより詳細な議論を期待したい。
まなべあつし/1979年生まれ、奈良県出身。評論家、著述家。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。主なテーマはポストコミュニティ、ポスト宗教、自己啓発、ポピュリズム。著書に『テロリスト・ワールド』『不寛容という不安』『山本太郎とN国党』など。
からすだにまさゆき/1974年生まれ。慶應義塾大学教授。専門は政治コミュニケーション研究。近著に『となりの陰謀論』。
