あとから友人に聞いたのですが、その頃の私は「この怪我はギフトなんだ。同じように困っている人を助けるためにもらった試練なんだ」と話していたそうです。ただ、怪我をした直後は不安感や絶望感の方が強くて「何かをしよう」とまでは思えませんでした。

 でも退院してから、自分の体験を通じて「みんな私に対して冷たいけど、自分はどうなんだろう?」「私は人の辛さに向き合って来たって言える? 困っている人に手を差し伸べてきた?」と疑問を持つようになって。そこから、少しずつ見える世界が変わっていきました。

徐々に前を向けるようになっていったという(写真=本人提供)

「私にしかできないことがある」海外を旅するようになったきっかけ

――その後、海外に行くようになるんですよね。どうして、「海外に行こう」と思うようになったのですか。

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めい 最初は、「私が怪我をしたのには、きっと何かの理由があるはずだ」という思いからでした。

 どうして私はこんな怪我をしてしまったのか。それは、私にしかできない“使命”があるからなんじゃないか。自分の怪我にそんな「意味」を持たせることで、怪我を受け入れようとしていたのかもしれません。

 その思いが、病室で思い浮かんだ「貧困の子どもたちの映像」と結びついたんですよね。でも、自分の目で実際にその光景を見ていないのに、「私にしかできないことがある」なんて言うのは、ただのエゴだなと思って。

 不幸中の幸いですが、私には右目が残っているので、その右目を使って、まずは世界を見なきゃいけない、自分の目で世界の現実を確かめなきゃいけない。そう思って、アルバイトでお金を貯めて、世界中を旅するようになりました。

 

最初は「眼帯の変なやつがいる」と思われるのが怖かった

――最初に、アイスランドを訪れたのですよね。

めい そうです。異文化交流のプログラムに参加して、いろんな国の人達と2週間生活しながら、募金活動をしたり、地域の清掃をしたりしました。

 私には分かりやすい「怪我」があるので、人の注目を集めやすい。だったらそれを活かして、人前に立って何か活動しようと思ったんです。でも実は、最初の3日間は自分のベッドから一歩も動けなくて。

――どうして動けなかったのでしょうか。

めい 周りの人達と比べてうまく英語が喋れないし、何より「眼帯の変なやつがいる」って思われてるんじゃないかって怖くて……。でも、「このままじゃいけない」って勇気を振り絞って、つたない英語と翻訳機でコミュニケーションを取り始めたんです。