「左目どうしたの?」海外に行って気づいた日本とのコミュニケーションの違い
――勇気を出した結果、周りとのコミュニケーションは取れるようになりましたか。
めい もう、想像以上に! 宗教も言語も、育った環境も、何もかも違う人たちが、私を受け入れてくれました。
なかには、歴史的な背景から日本にあまり良い印象を抱いていない国もありましたけど、そういう国の人たちも、私自身を認めて、受け入れてくれた。それがすごく嬉しかったですね。
――日本との違いは何か感じましたか。
めい 日本だと、左目が見えない私が困っていたとしても、こちらを見るだけで声をかけてくれない人がほとんどでした。
でも海外では「左目どうしたの?」と聞いてくれる人が多かったです。びっくりしましたが、私としてはすごく気が楽でしたね。そっちの方が、私も事情を話しやすいなって。
ただ、「見ているだけの日本が悪い」と言いたいのではなくて。私に必要だったのは、自分から「困っています」「助けてほしい」と伝えることだったんです。そうすればきっと、手を差し伸べてくれる人が大勢いたはず。
なのに私は「どうせ誰も助けてくれない」と勝手に判断して、勝手に孤独を感じていただけだったなと気づきました。
インドネシアで「日本はどうしてあんなに自殺者が多いの?」と聞かれ…
――その後も、いろんな国に行ってますよね。
めい 東南アジアをバックパックで1周したり、カンボジアで学校を建てるボランティアに参加したり。特にインドネシアでの経験は、私にとっての大きな転機になりました。
――インドネシアでは、どんなことがあったのでしょうか。
めい ボランティア活動の中で、音楽や日本語を教える先生として現地の高校を訪問した際に、子どもたちに「日本はインドネシアより裕福な国なのに、どうしてあんなに自殺者が多いの?」って聞かれたんですよね。
――考えさせられますね。
めい それまでの私は、「貧困=不幸」だと思い込んでいたけど、インドネシアには笑顔で幸せそうな子が大勢いたんです。
それから、「お金がないことで、不幸だと感じることはあるかもしれない。でも、『お金がない=不幸』ではないのかもしれない」と考えるようになって。
これまで私が気づけなかっただけで、もっと身近なところに困っている人はいるのかもしれないと思うようになって、国内での活動に目を向け始めたんです。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
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