日本赤軍とは、いかなる組織だったのか。元国家安全保障局長の北村滋氏が、日本警察の一員として対峙してきた経験を語る。

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「重信房子」忘れることのない存在

「重信房子さん生還―歓迎会」。手元にこんな催しを告知するビラがある。5月28日に刑期満了し、出所した「重信房子」は、我が国の外事警察が長い間、多くのリソースを割いて追跡しながらも、今なおメンバーの一部が逃亡している国際テロ組織「日本赤軍」の最高幹部を務めた人物である。中東などを拠点に長期間潜伏していたが、2000年11月に極秘に入国、人目を避け寄寓していた大阪で逮捕され、服役していた。私の官僚人生にも少なからぬ影響を及ぼした、忘れることのない存在だ。

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元国家安全保障局長の北村滋氏 ©文藝春秋

 共同通信によると、重信は、服役中に支援者へ寄せた手紙で出所後の生活について「謝罪とリハビリと斗病(闘病)で一杯」で、「好奇心をもって楽しく生き続けようと思って」いるといい、《支援者らとの再会を願う様子もうかがえた》という。

 前述した「歓迎会」のビラでは、1972年にメンバーがイスラエルの空港で引き起こしたテロ(詳細は後述)について、パレスチナの「解放闘争」であると正当化している。そして重信の罪状は「冤罪」だと主張。「謝罪」の意向を示している重信だが、こうした価値観の人々に迎えられ、社会復帰することになる。

日本赤軍のリーダーだった重信房子(中央)は2022年に刑務所を出所 ©文藝春秋

 日本赤軍とは、いかなる組織だったのか。

 警察庁の公開資料は、《マルクス・レーニン主義に基づく日本革命と世界の共産主義化の実現を目的として国内で警察署の襲撃、銀行強盗、多数の死傷者を出した連続企業爆破事件等の凶悪な犯罪を犯した過激派グループの一派が、「国際根拠地論」を打ち出して、海外に革命の根拠地を求めて脱出した後、結成された国際テロ組織》と説明している(警察庁『焦点』第269号『警備警察五〇年』第二章)。

 日本赤軍は、テロを起こして捕らえられた仲間を、新たな奪還テロによって釈放させ、別のテロに合流させようとした、稀有な凶悪犯罪集団だ。日本警察は、長くその壊滅を目指し世界の果てまで追及してきたが、私にとっては、インテリジェンスオフィサーの世界に足を踏み入れるきっかけでもあった。