父・石原慎太郎さんの「40歳までに結婚しなければ勘当」という言葉に翻弄されながらも、40歳で運命の女性と出会い、結婚を決意した石原良純さん。“12歳年下の美人女医”とも評された今の奥様といかにして出会ったのか? 両親と初対面したときに彼女が驚いた理由とは――。四兄弟がそれぞれの視点で家族の思い出を綴ったエッセイ集『石原家の兄弟』(新潮社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

石原良純さん ©文藝春秋

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「40歳までに結婚しなかったら、お前、勘当だからな」

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 いつの頃からか、親父は僕の顔を見る度に、そんなセリフを繰り返すようになった。

 40が近づいても、気ままな独り暮らしにうつつをぬかし一向に結婚する気配のない息子を心配したのか。男は所帯を持ってこそ一人前。早く一人前になれと息子を促していたのか。自分自身は感性の赴くまま、常識にとらわれず生きているのに息子のこととなると突然、常識人になってしまう。そんな面倒くさい二面性が、確かに親父にはあった。

 もちろん、そんな親父の薫陶を受けたからではない。僕は40歳で結婚した。お相手は旧姓・稲田幸子さん。スポーツ紙の記事には、お相手は12歳年下の美人女医と紹介されていた。

 知り合ったきっかけは兄貴の紹介。親に言われて結婚相手を探してくれていたようだから、見合結婚と言ってもよかろう。兄に感謝しているが、兄の嫁さんを紹介したのは僕だからこれでおあいこ。大人気ないと思われるかもしれないが、兄弟はこんなところでも張り合ってしまう。

妻との最初の出会い

 初めて会ったのは、2002年の6月4日。この日はサッカー日本代表がベルギー戦で引き分けて、日本代表はワールドカップ史上初めて勝ち点を上げた。駅前で号外を手渡されたから覚えている。それでも待ち合わせた和食屋さんで、僕はあまり酒を飲まなかったというから、僕なりに緊張していたのだろう。その後、3回目のデートで僕はプロポーズし、彼女はそれを受けた。いわゆるスピード婚のはしりだ。

 夏には一緒に海へ行って、クリスマスがあって誕生日があって、冬には今度はスキーへ行く。そんなことを幾ら繰り返したって相手のことなど分かりはしない。なにしろ、自分自身のことすら分からないのだから。ならば自分の直感を信じて進むのみ。もしかしたら、これは親父の言うところの感性の赴くままに行動してしまったのかもしれない。

 とはいえ、僕が40でお相手は28歳。40の初婚男が結婚できる確率は約10パーセントといわれている。ひと昔前なら初老と呼ばれる僕は、謙虚にならなければいけないと友人に諭された。僕は謙虚に結婚にまつわる手順を一つ一つ進めていくことに注心した。