結婚で引退→復帰後「富司純子」に改名した理由

 ちなみに『国宝』の監督・李相日(イ サンイル)と寺島は本作で初めて仕事をともにしたが、富司は娘に先んじて李監督の『フラガール』(2006年)に出演している(蒼井優演じるヒロインの母親役)。とはいえ、富司がそのとき出演依頼とともに送られてきた脚本をしばらく放っていたところ、「この監督はすごいよ。これやったほうがいいよ」と促したのは寺島だったという。

『フラガール』、『国宝』などを手掛けた李相日監督 ©文藝春秋

 富司は、普段より映画や芝居をよく観ている寺島から教えられることも多く、『フラガール』のほかにも、相米慎二監督の『あ、春』(1998年)や別役実作・坂出洋二演出の舞台『マッチ売りの少女』(2003年)にも彼女の勧めで出演した。後者では親子の役で寺島と共演もしている。

 そもそも富司はかつて日本映画を代表するスターとして絶大な人気を集めながらも、梨園の妻となるという覚悟から結婚とともに俳優業から引退していた。それをひるがえして復帰を決めたのは、子育てもひと段落したころ、当時高校生だった寺島から「子供たちが親離れしているのに、お母さんは子離れできないね」と言われてショックを受けたのがきっかけだという(ただし、当の寺島はそんなことを言った覚えがないらしい)。

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 ちょうどそこへ映画『あ・うん』とドラマ『詩城の旅びと』(いずれも1989年)への出演依頼が来たので、夫に相談したうえで引き受けることにしたのだった。このとき、かつての芸名である藤純子(ふじ じゅんこ)でも、俳優を引退後にテレビの司会などで用いた寺島純子(てらしま じゅんこ)でもなく、あくまで新人という気持ちで富司純子に改名し、現在にいたっている。

映画『あ・うん』(1989年公開)

内職で生計を立てながら女手一つで育ててくれた母

 富司は終戦から3ヵ月半後、家族が疎開していた和歌山県御坊(ごぼう)で生まれた。小学校入学前に大阪に引っ越し、高校1年まですごしたのち今度は京都に移り、転校して京都女子高校に通った。父・俊藤浩滋はのちに東映のプロデューサーとなって、娘である藤純子の映画を世に送り出す。ただ、俊藤は家庭を顧みず、女性関係も放埒で、彼女が母・兄姉と大阪に移ったときには、東映の撮影所のある京都で別の女性と暮らしており子供も儲けていた。

 母は内職で生計を立てながら、富司たち3人の子供を女手一つで育てた。父はなにがしかの仕送りをし、ときどき家に現れては小遣いをくれたとはいえ、《だが、母を苦労させたこと、苦しめたこと、その仕打ちに対して私は今でも許していない》と富司は後年にいたっても手記につづっている(木村隆編『母よ』新潮文庫、2013年)。