きょう12月1日、俳優の富司純子が80歳の誕生日を迎えた。人間国宝で歌舞伎俳優の七代目尾上菊五郎(当時は四代目尾上菊之助)と結婚したのは26歳のこと。“梨園の妻”としての生活、女優業の引退と復帰、年齢を重ねることへの考えとは? これまでの軌跡を振り返る。(全3回の3回目/はじめから読む

12月1日に誕生日を迎えた富司純子 ©︎時事通信社

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結婚し、梨園の妻「寺嶋純子」に

 藤純子の引退映画の公開からひと月が経とうとしていた1972年3月30日、東京のホテルオークラで四代目尾上菊之助と結婚式を挙げ、彼女は「寺嶋純子」として新たな人生を歩み始める。家庭に入り、家事を一手に担う一方、この年には夫が翌年、七代目尾上菊五郎を襲名することも発表され、義母(七代目尾上梅幸夫人)から歌舞伎界のさまざまなしきたりを教わりながら、梨園の妻としてその準備に追われることになった。このときは一切を義母が取り仕切ったが、そこで教わったことに彼女は、のち1996年に尾上丑之助だった長男が五代目尾上菊之助を襲名するに際して大いに助けられたという。

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五代目尾上菊之助(当時)。2025年5月に八代目尾上菊五郎を襲名 ©︎文藝春秋

 彼女が結婚して何より驚かされたのは、夫が銀座や祇園で飲むたび、松竹からもらう給料の額をはるかに上回る請求書が送られてきたことだった。結婚にあたって義母からは「歌舞伎役者にお金のことを話してはいけない」と言われており、夫には相談できず困ってしまう。それも義母は承知の上で、彼女が赤字だと伝えると、足りない分を黙って足してくれたという(『週刊読売』1996年6月16日号)。

 年を追うごとに、夫が銀座へ遊びに行く回数でその月の舞台の大変さがわかるまでになった。何しろ、1ヵ月間の歌舞伎座の公演では、休演日もなく朝から晩まで舞台に立ち続け、顔を合わせる人も変わらない。そうなると《銀座ぐらい行ってもしょうがないと思います。そういうところで発散してもらったほうがね》として受け入れたのだという(『週刊朝日』2008年12月5日号)。

四代目尾上菊之助(当時)と藤純子 ©︎文藝春秋

ワイドショー『3時のあなた』で週に1度の司会

 女優からは引退したが、1974年からはフジテレビの午後のワイドショー『3時のあなた』で週に1度、司会を務めるようになる。出演にあたっては寺島純子の名を用いた。番組が始まったころ、大分県別府市で保険金殺人の疑惑を持たれていた男が同番組に出演し、自身の潔白を主張するも、寺島の核心に迫る質問にやがて怒り出し、ついにはスタジオを飛び出すということがあった(男はその直後に逮捕)。彼女を“姐さん”と呼んだ当時のディレクターは、その対決に迫力を感じるとともに《姐さんはなかなかの社会派だな、硬派だなと、見直しました》と振り返る(『婦人公論』2008年6月22日号)。