『3時のあなた』は長男の出産で3年ほど休んだのち、今度は出演が週2度になって復帰し、結局、1988年に番組が終了するまで出演を続けた。この間にも、女優復帰の話が何度となく浮かんでは消えていったという。夫の菊五郎襲名披露公演のときには、費用が莫大にかかるので、彼女が映画『男はつらいよ』シリーズに出演すると根も葉もない噂が流れたこともあったらしい。

 本人のもとにもたびたび出演依頼があったが、脱ぐシーンがあったりして出る勇気が湧かなかったという。藤純子時代に世話になった加藤泰監督からも『白蛇伝』と題する映画の脚本が届けられ、熱烈なオファーを受けたものの、ありがたく思いつつこれも固辞した。加藤も1985年に亡くなり企画は結局日の目を見ないままに終わる。唯一の例外で、NHKのスペシャルドラマ『勇者は語らず』(1983年)には、そもそも夫とはNHKのドラマのおかげで出会っただけに断るのは申し訳ないとの気持ちもあり、“1回限り”との条件で引き受け、『3時のあなた』と同じく寺島純子名義で出演した。

生まれ変わったつもりで「富司純子」となり映画界に復帰

 それが子育てがひと段落ついたころ、長女の忍(現在、俳優の寺島しのぶ)から「お母さんは子離れができてない」と言われてショックを受けたのをきっかけとして、ちょうどオファーが来ていた映画『あ・うん』とNHKのドラマ『詩城の旅びと』に出演したとは、#1にも書いた。

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映画『あ・うん』

 東宝映画である『あ・うん』への出演を決めたとき、彼女はまず古巣・東映京都撮影所長(のちに東映社長)の高岩淡(たかいわ たん)に許可をとったうえ、さらに東宝側のプロデューサーに次のような申し入れをした。《こんど東宝に出演することになった私のことを、あなた方はきっと父俊藤に報告に行くでしょう。それは絶対にやめてください》(『婦人公論』2008年6月22日号)。そう言うと、新たな芸名として「富司純子」と書かれた紙を差し出したという。「父俊藤」とは、かつて東映のプロデューサーとして、娘の藤純子を主演に数多くの映画を製作した俊藤浩滋のことである。彼女は子離れすると同時に父とのけじめもつけ、生まれ変わったつもりで映画界に復帰したのである。

 改名したのは《みんなに愛された藤純子は、そのまま宝箱の中に大切に入れて閉まって(原文ママ)おきたい》との思いゆえだった(『キネマ旬報』2007年1月上旬号)。ちなみに「富司純子」の名は、昔、占い師に名前を見てもらい「藤純子は有名になって売れるけど、結婚したらやめる名前です」と言われた際、「純子をスミコと呼ばせるほうがいい」と勧められたものだという。