「ダイエットこそ一番の整形」

 ピーク時には100キロほどあった体重から40キロほどの減量を果たした男性が、そのビフォーアフターをSNSに投稿して大きな話題を呼んだ。投稿の主は、高校野球の名門・報徳学園高校から立教大学に進学し、日本代表の4番を打ったこともある小松田卓宏さん(27)だ。大学の野球部を引退したのち、体重を徐々に減らして現在は会社員の傍ら、インフルエンサーやモデルとして活動している。

 もともと華奢だった小松田さんだが、中学で身体づくりの一環として「吐きながら食べていた」とまで振り返る食生活を経て、体重が50キロ弱から100キロほどまで、ほぼ倍増した。本人に当時のようすを振り返ってもらった。(全2回の1回目/続きを読む

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「ダイエットこそ一番の整形」として自身のビフォーアフターを投稿して話題を呼んだ小松田さん。体重のピーク時は約100キロほどもあったという 写真提供=本人

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中学3年間で、体重が約50キロも増えた

――小松田さんは現在はモデル、インフルエンサーとして活動されていますが、学生時代はプロ野球選手を目指していたそうですね。野球の名門である報徳学園高校から、東京六大学野球で有名な立教大学に進学し、野球部に在籍していたとか。

小松田さん(以下、小松田) 高校時代は、現在広島東洋カープの小園海斗選手、福岡ソフトバンクホークスの佐藤直樹選手とチームメイトでした。「1番 小園、3番 佐藤、4番 自分」という並びで、試合に出ていたときもあるんですよ。大学時代も、阪神タイガースの熊谷敬宥選手、東北楽天ゴールデンイーグルスの荘司康誠選手がチームメイトでした。

――すごいメンバーですね。小松田さんが野球を始めたのは、いつからだったのでしょうか。

小松田 父親の影響で、物心ついた頃には野球が大好きでした。たしか、3歳頃から父親と公園でキャッチボールをしていたと思います。小学校3年生のときに地元のクラブチームに入って。その頃には、「将来はプロ野球選手になる!」と思っていましたね。

――野球をしていた当時と現在のビフォーアフター動画がSNSで話題になっていましたよね。野球を本格的に始めた頃は、どんな体型だったのでしょうか?

小松田 実は、小学生のときは華奢だったんです。小学6年生のとき、身長は165センチぐらいあったのですが、体重は50キロちょっとでした。

小学校までは華奢で、太れないことがコンプレックスだった

――でも、中学校を卒業する頃には98キロまで増えたんですよね。どんなきっかけがあったのでしょうか。

小松田 テレビで見た、大阪桐蔭の球児たちがとにかくかっこよくて。手足はもちろん、お尻もがっちりしていて、ユニフォームがパツパツなんですが、その姿で甲子園を駆け回る姿にすごく憧れたんです。それから「プロを目指すなら、彼らみたいに体を大きくしなきゃ」と思って、本格的な体作りを始めました。特に、ご飯の量を増やしましたね。

――どんな食生活を送っていたのでしょうか。