「今モデルやっているんだ」と言っても、信じてもらえない
――今はファッションモデルとしても活躍されていますが、当時からファッションに興味はあったのでしょうか?
小松田 興味はありましたよ。でも、何よりも野球が最優先だったから、流行りを知ろうと勉強することも、自分に似合う服を見つけようと研究することもなかったですね。
――例えば、どんな服装をしていたのでしょうか。
小松田 普段はほぼジャージでした。たまに友達と出かけるときは、自分なりにおしゃれはしていくんですけど……。ポンポンのついたカラフルなニット帽に、裾の広いワイルドなデニムパンツ、黄色のスニーカーを履いて友達と会ったときは、「その格好、どうした?」って言われたこともありました。だから「今モデルやっているんだ」って当時の友達に言っても、誰も信じてくれないと思います(笑)。
――食事だけでなく、野球の練習自体も相当ハードだったのではないでしょうか。
小松田 そうですね。所属していたクラブチームの練習場所が自宅から8キロくらい離れていて、往復16キロを毎日自転車で通っていました。「1日1000回、バットを振る」のを目標にしていたから、練習から帰ってきて、夕飯を食べたあとも1000回に達するまで素振りしていましたし、練習がない日は、ランニングしたり、バッティングセンター行ったりして。中高時代は、友達と遊んだ記憶はほぼないですね。
――その努力が実を結び、中学時代には日本代表にも選ばれて、高校進学の際には名だたる強豪校からスカウトが来たそうですね。
小松田 はい。野茂英雄さんが監督のジュニアオールジャパン、通称“野茂ジャパン”で4番を打っていました。高校は憧れの大阪桐蔭を始め、関西地方の多くの高校から声をかけていただきました。その中から「地元の兵庫県から甲子園に出場したい」と思っていたので、報徳学園高校への進学を決めたんです。
――そして高校に進学されるわけですが、強豪だけあって、練習もハードそうですね。
小松田 想像を絶する練習量でした。とにかく走るんですよ。
「運動場を1周何秒で走り切る」って目標を決めて、100人以上いる部員全員がそのタイムをクリアできるまで延々と走り続けるメニューもありましたし、1日に20~30kmくらいは走っていたと思います。
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