離婚歴があるセツにとっても理想的な再婚
でも、私は自分の人生で、両親が離婚しているからといって差別を受けたことは一度もありませんでした。それは戦後の日本の社会が、以前よりずっとオープンになったからでしょう。ただ、大正生まれの母の胸の底に残るわだかまりは、確かに存在したと感じます。
まして、(編集部註:一度目の結婚で)明治の初めに夫に去られたセツの気持はさぞや切なかったと思います。いささか極端な表現をするなら、女性としての自分を全否定されたような悲しさではなかったでしょうか。詳しくは省略しますが、いなくなった夫を連れ戻すために、わざわざセツが大阪まで迎えに行ったという話を聞いています。
さらにセツは養女に出された経緯があり養父母の面倒も見なければなりませんでした。女性の職業は限られていて、独身の場合は社会的な地位も低く見られがちだったのですから、セツの生活に対する不安はさぞや大きかったでしょう。
そう考えると、ハーンの妻となることは、セツの数々の不安を取り除いてくれることでもありました。夫となった人は、立派な家に住み、セツの養父母の面倒も喜んで見てくれる人です。まさに理想的な夫でした。
怒りの発作に襲われたハーンは制御不能
またハーンにとっても、自分の家族が日本にできるなどとは想像もしていなかったでしょう。むしろ大家族の長として老人たちに尊敬され感謝される立場にあるのは、人生で初めて見る光景だったのですが、きわめて心地良い思いをしていたようです。その後、この光景には子供たちや使用人などがどんどん増えて精密になってゆきます。それこそが、実はハーンがずっと憧れていた家族の肖像だったのではないかと思うのです。
ただし、後の小泉八雲はアメリカ時代とまったく変わっていない「奇人・変人」でもありました。なにしろ現実を受け止めるのがひどく下手で、怒りの発作に襲われたら最後、それを吐き出さなければ始末におえない人だったのです。いい加減大人になれば、人間は我慢する術を身につけます。まして経済的に不利になるとわかっていたら、じっと耐えることの方が多いでしょう。