その複雑な生い立ちのためか、あるいはアメリカで不遇の月日が長かったせいか、それとも容姿についてのコンプレックスがあったためか、いずれにしてもハーンは他人と意思の疎通をはかることが苦手でした。思い込みが激しく、しばしば常識の枠を超えたところで行動したのです。それ故に、ハーンの友人や最初の妻は、彼を強く非難しました。一部の例外を除いては友情も恋愛も長続きはしなかったのです。しかし、セツの筆致には、ハーンを非難する調子はありませんでした。エキセントリックな側面を、かえって彼の純粋さの証明だと受け止めていたのです。
セツは自分を全肯定してくれる女性
これまでに男性女性をふくめて、これほど無条件に彼を受け入れてくれた人間はいませんでした。当時の日本の社会では、妻が夫の生活様式に従うのは当然だったのです。また、ハーンが外国人であったため、セツは初めから夫に日本の常識を求めていなかったとも思えます。しかしハーンにしてみれば、自分自身を全肯定してくれる人間などこの世にいるとは考えてもいなかったでしょう。それでも、全肯定してくれる人間を、悲痛な思いで捜し続けて放浪の旅を重ねていたのがラフカディオ・ハーンのそれまでの人生だったともいえます。
その生涯を小泉八雲の妻として終えたセツは夫をとても誇りに感じていました。
これは私個人の推測に過ぎませんが、当時の日本では離婚歴がある女性はどこか肩身の狭い遠慮がちな生活をしていたのではないかと思うのです。
私事で恐縮ですが、私は昭和25年生まれで、両親は私が小学校の低学年の時に離婚をしています。この時私は母に引き取られて一緒に住んでいました。それでもなぜか父方の姓を名乗り、両親が離婚していることは誰にも言ってはいけないと強く母に言い含められました。あれはいったい何だったのだろうと今頃になってよく考えるのです。
「女が離婚されるっていうことはね、その後の生活は常に人様に気を使って頭を低くして暮らさなきゃならないってことなのよ」と母が寂しそうに言ったのは私が10歳くらいの時でした。