しかし、ハーンはセツが言ったように「一国者」であり「潔癖者」であることに彼女も困ったのです。では、この夫の頑固さをセツがどう乗り越えたかというと、それは日本という国で、時代がもたらしてくれた知恵を彼女が備えていたからではないかと思うのです。

けして男性を差別するつもりはありませんが、江戸時代の空気を色濃く残す明治にあって、ハーンのように短気で誇り高い日本の男性は実はものすごく多かったのではないでしょうか。

短気ですぐ怒る夫に妻たちはどう対処したか

またしても私事で気が引けるのですが、私の祖父は明治20年代に青森で生まれ、15歳で家を飛び出して、後に東京で写真館を開きました。それが昭和2年のことでした。祖母とは関東大震災の前に結婚しています。いざ写真館を始めたら、写真の出来栄えに文句をつける客も当然いるものです。すると祖父は烈火のごとく怒り、写真を客の前でびりびりに引き裂き、金など要らないからさっさと帰れと怒鳴りつけたといいます。でも、あそこの写真館の親父は写真は下手だし癇癪持ちだなどという評判が立ったら、お客の足は途絶えます。

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そんな時に、そっと玄関の外に出て客を待ち、平謝りをするのはいつも祖母の役目でした。しかも弟子に大急ぎで写真を焼かせて、そのお客のところへ届けて、しっかり写真代を貰って帰って来るのです。

これは明治の女性たちが備えていた生活の知恵だったのではないかと私はいつも思っていました。なにしろ武家の時代は終わってしまい、路頭に迷う元藩士は山ほどいたでしょう。それはセツの実家でも同じでした。その逆に、新しい時代に乗じて巨万の富を築いたり、士族でもなかったのに華族になってしまった平民もけっこういました。

ハーンの抗議行動をセツがフォローした話

才覚のある人間が世に出る激動の時代において、ハーンの不器用さは、明治の男たちに共通する部分があったような気がします。

セツが後に回想記に書いているのですが、ある時、アメリカの出版社に対して猛烈に怒ったハーンは激烈な言葉で抗議文の手紙を書きました。それをすぐに郵便局へ持って行くようにセツに命じたのです。ただ「はい」と答えたセツは、しかし郵便局へは行かずに、2、3日様子を見ていました。するとハーンはつくづく困った顔で、あの手紙はどうしたか、もう投函してしまったかとセツに聞くのです。あまりに厳しい言葉で罵ったことを、ハーンは後悔し始めていたのでしょう。そこで初めて、セツはまだ投函していないことを知らせます。「さすがママさんです」とハーンは大喜びしたといいます。