亀田郡七飯村の者が単身で舞茸採りに出かけ、たまたま大きな舞茸を見つけて、天の賜と喜んで思わず声を発したところ、生い茂る木立から大牛にも等しい猛熊がこちらを目がけて進んで来た。その勢いの恐ろしさは「胆魂魄も天外に飛去り」という有様であった。某はかねて聞いていた通り、死ぬも生きるも天の運と度胸を据えて自らそこへ打ち倒れて息を殺し「死したる体」を見せかけた。やがて彼の熊が側に近づき、某の体をしきりに打ち叩き、爪でもって散々傷つけた後、手を口に当てて呼吸の有る無しをうかがい、真に死んだと思ったのか、その場を立ち去った(後略)(『函館新聞』明治14年10月10日)
結局この男性は27カ所の傷を負って病院に運ばれたそうである。
他にも全治3週間の重傷を負ったり、後遺症が残ったりした事例が以下の二つである。
夕張炭鉱の坑夫、中村理吉(三二)は、炭層調査のため八名の人夫と共に従事中、巨グマが突如、前途に立ち塞がり、咆哮一声したので、理吉は大地に俯伏した。飛びかかったクマは、その後頭部に噛み付いたが、必死に痛みをこらえて仮死の状態を装い、しばらくして静かに頭をもたげてみると、クマはなおかたわらを去っておらず、手を挙げてさらに頭部を掻きむしり、紅に染めて倒れた姿を見て、悠々と立ち去った(後略)(『北海タイムス』明治41年9月3日)
“熊は死んだものは襲わない”と教えられていたのは嘘でした。熊は私の上に腰を下ろして長い爪で尻べたにズブリと刺しました。痛いのでビクッと動くとウワッと唸って咬みつきました。ひっくり返すやら手玉に取ったり、まるで熊のおもちゃでした。追っ手の人が来て仕止めてくれましたが、片目、片手、片足になりました。それでも猟師の人達が熊をなげおいて、病院に運んでくれたので助かりました(吉本国男)(『東三川百年史』平成7年)
タバコを一服していると…
②静観して生還する
「死に体」を装わないまでも、クマの存在を無視して助かった、つまり「静観して生還した」事例もある。特に、煙草を一服しているうちにヒグマが立ち去ったというケースは多い。