指を噛み切らないまでも、口に手を突っこんで助かったケースも散見した。
ある年、中宇津々部落では多くの緬羊が熊の被害にあい、ハンターがアマッポー(仕掛け銃)をかけたところ、クマが手負いのまま逃げた。傷を負った熊は、ところどころで休んだらしく血痕の跡が草や土にベッタリ付着している。ハンターの一人が「近いぞ」とささやいて間もなく、待ち伏せしていた熊がハンターめがけて飛びかかり、体をかわす暇もなく熊に押さえつけられてしまった。熊が大きな口を開け、ハンターの頭に噛みつこうとした時、身を捨てる思いで握りこぶしを作った腕を熊の口の中におもいっ切り入れた。腕を噛まれたが、噛み切るところまではいかず、熊の方が息苦しくなってハンターを離して逃げた(後略)(熊狩り逸話[昭和31年6月15日、16日]『紋別市宇津々部落開基九十周年記念事業宇津々郷土史』昭和61年)
布部部落の渡辺代次郎は、富良野沿線で知られた狩猟家で、十数頭のヒグマを撃ち取っているという。渡辺が九死に一生を得たのは、昭和三十八年九月末のことであった。(中略)突然、大木の根元に潜んでいた熊が飛びかかってきた。不意を突かれて組み伏せられた渡辺は、咄嗟に右手を熊の口中深く差し込んだ。その状態で左手だけでライフル銃を操作して、熊の喉元に銃口をあてがい、不発でないことを念じながら引き金を引いた。弾は見事に咽喉を貫通して、熊がひっくり返った。(後略)(大西松次)『富良野こぼれ話』(富良野市郷土研究会 昭和54年)
「どうか熊さん親子三人の命を助けて下さい」
⑤拝んで助かる
「クマに拝んで命拾いした」という事例も、数は少ないが記録されている。
網走の農業一ノ瀬利助の妻イト(二九)が立木伐採小屋で昼飯の準備中、長男義一(六ツ)が隣家の子供二人と遊びに出かけた。しばらくして子供らが息せき、熊が出たと蒼くなって逃げて来たが、義一の姿が見えない。イトは驚き、二歳の男の子を背負ったまま裸足で駈け出して我が子の行方を探し回るうち、遙かの藪中に義一の足をくわえ引きずっていく大熊を見つけた。半狂乱で熊に近より、義一を抱えて引っ張ると、義一のゴム靴だけ熊の口に残り、義一を熊から奪い取って小脇に抱えたが、熊は義一を見付けてなおも挑みかかり、義一の足に喰いつこうとするので、(中略)絶体絶命となって、「どうか熊さん親子三人の命を助けて下さい、決して仇をしないから」と手を合わせて二、三度拝んだ。その精神が熊に通ったかどうか、熊もボンヤリ二三間後退りしたので、イトは義一を抱いて一目散に駈け戻った(『小樽新聞』大正11年12月4日)