この事件は、かの日高山脈で福岡大学ワンゲル部員3人が喰い殺された事件とほぼ同時期に起きているが、それはともかく、絶体絶命の状況で「気合い」を放つことで死地を免れた人は意外に多い。

小栗さんが熊を撃って手負わせ山の中腹に居たところ、熊が峰の頂上に現れ、小栗さんを見ると十数間を一直線に突っ込んできて、鉄砲を構える隙も与えず、両前足で小栗さんを抑えつけてしまった。小栗さんが絶体絶命と思い、「貴様は俺を食うつもりかあ」と精いっぱいの声を出しで絶叫すると、熊は驚いて手を放した。その一瞬、小栗さんは鉄砲を持ったまま下の谷底にとびおりた。(中略)小栗さんは重傷を負いながら山小屋に辿り着いて救いを求め、辛うじて生命が助かったのである(『サロベツ原野 ―わが開拓の回顧―』佐々木登)


浦河町の平野清博も決してヒグマを恐れず、いわば「度胸勝ち」でヒグマを逸走させたが、ある年の秋、野深の奥にマイタケ採りに入って、ヒグマに出遭った。(中略)彼は山用に改造したマキリ一丁をふりまわしながらなおも進んだ。立ち止まったらやられる。頭のどこかに“熊なんて弱いものなんだ”という父のことばが聞こえる。その時ヒグマは鼻から勢いよく白い液を、かれめがけて飛ばした。かまわず進む。(中略)「こら、オレみたいな強い男に向かってくるのか……」叫びかけたかれの声にヒグマが驚いたように立ち止まり、クルッと後ろむきになると逃げだした。かれがなおも追いかけると根曲がり竹の上を飛ぶように逃げ失せたという。(文責 高田)(『続浦河百話』)

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相手を「手強い」とみると、クマもひるんで退散する。まさに「気合い」でクマに勝つわけである。

指を噛み切る、口に手を突っこむ

④戦って生還する

次の記事は、ヒグマの指を噛み切って助かったという珍しい事例である。

中頓別の自転車販売業、和田元五郎が勝井沢にヤマベ釣りに出かけたところ、突然仔熊を連れた猛熊が和田に飛び付き大格闘となり、熊が和田の顔面を剥ぎ取ろうとする際、親指が和田の口中に入ったので、死力をもって親指を咬み切った勢いに辟易し、藪中に逃げ失せた。和田の傷は十四ヶ所に及んだが、生命に別条ない(『北海タイムス』大正9年7月22日)