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「大学生に遺言?」とビックリされた

 立教大学の授業でも「自分史」を導入してみた。最初の年は学生に自分史年表を書いてもらった。生まれて物心ついてから年を追って、自分や家族の動き、友人関係、健康、趣味、学校、地域などについて書き込む。2年目は、最初のガイダンスの時に「自己PR」を書いてもらった。

 授業の後半では「遺言を書く」を文章課題にした。「大学生に遺言?」とビックリされたが、死と結び付けなくても、家族や友人らへの別れのあいさつ、節目での「贈る言葉」として、と言った。遺言を書くためには、これまでの自分の半生と周りの人々との関係を振り返って考えざるを得ない。

 結果的に多くの学生が、自分の思いを受け手に伝えるという、本来の目的に沿ったいい文章を書いた。自分の内部にこもった思いを吐き出しやすいテーマだったのだろう。中でも私が「たいへんよくできました」の桜マークを付けた最優秀作品は「母への遺言――もし私がすごく重い病で死ぬとしたら」というタイトルの2年女子の文章。「お母さん、なんであの日、仮病だって気がついてたはずなのに……」と小学生のころ、うそをついて学習塾をサボったことを告白し、そうした“逃げ癖”がいまも続いていることを母にわびる遺言だった。

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提出された自己PRは「自慢」の競争になっていた。

 次の授業では、学生が自分史年表を作ったうえで、ガイダンスで書いたものを参考に「自己PR」を完成した。しかし、提出されたものを読んでみると、予想通り「自慢」の競争になっていた。

「自分は時間を絶対に守る」「根性があることが私の強み」「真面目なことに自信がある」……。文章の冒頭からストレートに押してくる。書き方が分からないからだが、これでは読む方もシンドい。

 私は授業でいつも「実用文の生命は具体性。エピソードを入れて書いて」と話した。自己PRでも、具体的なエピソードを取り上げて書いた学生は何人かいた。そのエピソードのインパクトが強ければ強いほど、自慢するトーンは薄くなり、読み手に対する説得力は増した。「『KY』と言われた苦い思い出がいまの私をつくった」という2年女子の文章が一例だ。授業の最後に、自分史の取り組みについて学生に聞くと、「難しかった」という意見もあったが、多くは「新鮮だった」「自分という人間が分かった」など、肯定的な受け止め方だった。