「どんどん人が島から離れていって……」
――お子さんたちを養うためとは言え、暮らし慣れた新島を離れるのはお辛かったでしょうね。戻ってきたくなるのもわかります。
和子さん いえ、うちはですね、先祖代々、島にあるお宮さん(神社)の氏子総代みたいなことをさせて頂いていたんです。ですから、たまに様子を見に行っていたんです。
――あ、新島観光の目玉の一つになっている五社神社ですね。先祖代々、氏子総代……と言いますと?
和子さん 桜島に月讀神社というのがあって、五社神社はそれを分社してお連れしたものなんです。江戸時代に私たちの先祖が桜島から移り住むとき、自分たちを守ってもらいたいということで。私が物心ついた頃は、お祭りのときとかに桜島から神主さんが来られていて。お祭りで使う太鼓とか道具一式がうちに置いてあって、うちで着替えていかれたんです。それが自然な感じだったんですね。
だから島を出るときに、父が島の知り合いに「神社のことをよろしく頼むね」って言ってたんです。でも、みんな歳をとってしまって、どんどん人が島から離れていって……。
「島に戻りたい」と言い続けていた父親
――どうして皆さん島を離れることになったんですか?
和子さん だって、生活していけないんですよ。収入源が魚っていうのはままならないし。魚離れが進んでるから、需要がないんです。最後まで残っていた人たちは島の対岸に引っ越しました。父がお宮さんをお願いしていた隣のおばさんも。
うちの父は島に戻りたいと常々言ってました。神社も朽ちたし、再建したい。けど、どうしようもできないって。私たち姉妹も嫁に行ってましたからね、「もうできないよ、諦めなさい」って父には言ってたんですよ。それから父も亡くなって。
私のすぐ上の姉が鹿児島市内の中心地に住んでるんですけど、2013年についに新島が無人島になったとき、その姉が「お宮さんはどうなったんだろうか」と心配していて。
私は結婚して北九州に住んでいたんですが、月に一度、(鹿児島市内中心地の)実家に戻ってくる用事があったものですから、そのときにお花とお水を換えにいこうかと誘ったんです。それからすべて始まったんですよ。

