鹿児島は桜島の北東に、周囲たった2.3kmの小さな島が浮かぶ。その名も新島。

 江戸中期の安永8(1779)年10月1日、活火山である桜島が大噴火を起こした際、桜島北東海域に海底噴火または隆起が起こり、8つの島が誕生。後にいくつかが沈没し、あるいは合わさって生まれたのが現在の新島だという。

桜島の北東に浮かぶ「新島」 撮影=林らいみ

 美しいビーチに神秘的なアコウの巨木、縁結びで霊験あらたかな神社、さらには約5000年前の貝化石層などがあり、豊かな自然あふれる観光名所として注目を集めているようだ。

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 しかし、驚くことなかれ、島の人口はたった二人――。

 島の港近くで民宿兼カフェ「ニューアイランド佐々木」を営む佐々木和子さん(65)と直行さん(72)の夫妻だ。彼らは2019年、北九州から新島に移り住んだという。

佐々木和子さん(左)と直行さん

 いったいなぜ島に二人きりなのか、彼らはなぜここに住むのか。桜島の浦之前港から船で約10分の新島に向かい、佐々木夫妻に話を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)

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かつては漁で栄えていた島

――そもそもお二人のご出身はどちらなのですか? 

和子さん 私は実は12歳まで新島に住んでいて、ここで生まれ育ったんですね。中学校から島を出て、鹿児島市内の中心地に行って。でも、50年以上経ってここにまた住むことになるなんて、まさかまさかですよ。ほんと神様に背中を押された気分です。

――和子さんはこの新島のご出身だったんですね。いろいろ気になりますが、まず当時ご家族は島でどんな暮らしを?

和子さん 50年ちょっとくらい前になりますが、その頃は島民が80人から90人くらいいたと思います。20世帯くらいいたかいないか、かな。

以前は20世帯ほどが暮らしていたという

 ここは80%が漁師で、うちは何軒かあった網元の一つをさせてもらっていました。ほかの収入源は、生活の主食にもなるさつまいもを作っていて。自分たちが食べる分以外はでん粉工場に売りに行って、日銭を稼いでいたようです。うちは5人姉妹で私が一番下なんですけど、姉たちは先に島を出て高校とか短大とかに行ってたから、私が島を出た後は父と母だけで暮らしていました。

 でも、漁っていうのもだんだんね、魚が捕れなくなって。その頃たまたま母の妹が養殖の仕事を始めるという話があったんですね。それを手伝うために父と母も鹿児島市内の中心地に住むようになったんですよ。私たちに仕送りをするために、定まった収入がいるというので。まあ、たまに島に戻ってきてましたけど。