ジャングルと化した生まれ故郷

 姉と一緒に新島に来てみたら、港のところから草が生えて、桜島の灰が積もって、もうジャングルみたいな感じ。お宮さんに行くまでの道も腰のところくらいまで草がぼうぼうで、「いやーこわいねー」って言いながら。

和子さんの生家の敷地内

 そこで、帰りの船が迎えにくるまで時間があったものですから、来月また来るときのために草刈りをしようとなったんです。そしたら歩きやすいよねって。

――そこから、島を再生するための活動が始まったんですね。

ADVERTISEMENT

ボロボロだった神社を再建

和子さん 最初はただ、お宮さんのお花とお水を替えたかっただけなんです。そのあと、鹿児島市内の繁華街でお店をしていた姉が、お客さんに「ボランティアをしませんか、楽しいですよ」って声を掛けて。それが人から人に伝わって、有志で集まるようになったんです。

 神社も雨漏りがして、灰ですすけて、もうボロボロだったんです。姉と「私たちの力だけじゃできんよね」って話していたんですけど、その方たちが「建て替えるなら手伝うよ」って言ってくださって。いろんな方々の力を借りて、神社を再建させて頂いたんですよ。ほんとに皆さんのご支援のおかげ。

美しく再建されたお社

――昔新島にお住まいになっていたとか、島に縁がある人ではなく?

和子さん そうです、そうです。鹿児島は神仏を大事にするところなんですね。だから、良いことをしている、手伝おうと思ってくださって、喜んで参加してくれるようになって。

 うちの主人もサラリーマンをしていて、最初は来てなかったんですけど、途中から月に2回くらい鹿児島に来るようになりました。職場が博多でしたから、私が金曜日に車で主人を迎えに行って、日曜に作業をして。

直行さん 僕は生まれも育ちも北九州なんですけど、母親が鹿児島の出身だったんです。それに仕事で65歳まで九州一円をまわってたから、鹿児島も来てたんです。

民宿兼カフェ「ニューアイランド佐々木」のカウンター

――じゃあ新島に住むことになったとき、そんなに抵抗はなかったんですか?

直行さん いや、めちゃくちゃありましたよ。まだ義父が生きていたときに一緒に新島に来ることもあったんですけど、住めるとは思わなかった。無人島になった島に住むというのは、ハードルが高いですよ。今でもほんとは住みたくない(笑)。

和子さん 今はきれいになって帰るところがあるからいいけど、こんな不自由なところ誰も住みませんよ。