躊躇なく百々果を守ってくれたパパ

「孫にデレデレ」のタガが外れたパパだったが、ものを与えるだけでなく百々果を守る父親的な役割も務めてくれた。

 百々果を自由な校風のインターナショナルスクールに入れると決めていたが、名門小学校に入れたかったパパは猛反対。

 パパとはバチバチにやりあって、私が百々果を連れて家を出るまでの騒ぎになった。結局パパが折れてしばらく不満そうな顔をしていたものの、入学するや毎日のように送り迎えをするようになった。朝、私が百々果と出ようとすると、

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「おい、アンナ! ちょっと待て。俺が行く」

 そう言って百々果と手を繋いで家を出ては、ホクホク顔で戻ってきた。

 

「すっかり好々爺になったな」と思っていたら、ビシッとキメてくれることもあった。インターに入学して間もないころ、百々果がプールで溺れかけた。

 私たちが声を上げる前に、パパが異変に気づいて、バッと立ち上がって、躊躇なくプールに飛び込んだ。このとき、パパは60代なかば。年齢を感じさせない俊敏さもさることながら、「家族を守る!」という姿に鳥肌が立ってしまった。

 プール事件以降は、海水浴に行っても監視員状態で百々果から一時も目を離さないようになった。一緒に浅瀬に入って遊びながらも、波が来ると「百々果、こっちおいで」と、流されないように注意していた。しかも、遊ぶときは百々果の気が済むまで付き合うから、2時間、3時間も砂遊びのお供をするなんてザラ。ハワイのビーチで、仲良く8時間過ごしていたこともあった。

「ぢっぢのステーキ」が大好物

 もちろん、料理の腕も百々果に注ぎまくった。

 お弁当もせっせと作ってあげていたし、休みの日になると腕によりをかけた料理を出しては百々果を喜ばせていた。

 なかでも百々果のお気に入りは、ステーキ。「ぢっぢのステーキ」と呼んでは、しょっちゅうねだっていた。

 使うのは、紀ノ国屋で買ってきたヒレかサーロイン。

「ステーキは、ニンニクの香りが大事だからな」

 ということで、ニンニクの薄切りを肉に乗せてラップをかけて30分ほど置く。そんな具合で、手間も時間も掛ける。

 

 小学校に上がると、朝7時30分にスクールバスがピックアップしに来てくれるようになるのだが、百々果が玄関から出ようとするとパパが声を掛ける。

「おい、百々果! 今日はなに食べたい?」

「ぢっぢのステーキ」

「わかった!」

 百々果を送ったら、すぐさま青山の紀ノ国屋に向かい、9時30分の開店を待つ。オープンすると、紙袋3つ分も食材を買い込む。紀ノ国屋への買い出しは、仕事に出ない日のパパのルーティンになっていた。