1978年から1980年にかけて、アメリカで11人の若者が残忍に殺害された。犯人はジェラルドとシャーリーンのギャレゴ夫妻。裕福な家庭に育った女性がどのようにして凶悪犯罪者に変貌したのか。その出会いから逮捕までの足跡を追う。
タガが外れた2人
ジェラルド・ギャレゴは1946年、売春婦の子として生まれた。幼少期から母親の客から性的虐待を受け、13歳で6歳の少女を強姦するなど、早くから犯罪の道を歩んだ。自分の娘までもレイプし、27回もの逮捕状が出されるなど、その犯罪歴は長く続いていた。
一方のシャーリーンは1956年、スーパーマーケットチェーンの副社長を父に持つ裕福な家庭で育った。しかし高校卒業後、酒とドラッグに溺れ、売春婦との3Pを望むなどの性的嗜好から最初の結婚は破綻。その後も不倫や同性との関係に走った。
この2人が出会ったのは1977年9月のブラインド・デート。シャーリーンはジェラルドの端正な容姿と暴力的なSMセックスに惹かれ、犯罪歴を知りながらも翌年春に結婚した。
最初の殺人
彼らの最初の犯行は1978年6月。16歳のサンドラ・バトラーをネバダ州で誘拐し、暴行の末に射殺した。これを皮切りに、カリフォルニア州やネバダ州で若い女性たちを次々と拉致。シャーリーンが声をかけて車に誘い込み、ジェラルドとともに暴行を加えたのち殺害するという手口だった。
彼らの犯行は1980年11月、クレイグ・ミラーとメアリー・サワーズを拉致した際、目撃者がバンのナンバーを記憶していたことで発覚。その後、シャーリーンが実家に送られた為替手形を受け取りに来たところを警察に逮捕された。彼女は司法取引に応じて全てを自供し、16年8ヶ月の刑を受けたが、1997年に釈放され、現在も存命である。
夫は獄中死
一方のジェラルドは死刑判決を受けたものの、執行される前の2002年、56歳でがんにより獄中死した。
シャーリーンは後に「自分は殺人を犯した加害者だが、同時にジェラルドの被害者の1人でもあった」と語っている。裕福な家庭に生まれ育った女性が、なぜ11人もの命を奪う殺人鬼に変貌したのか。その背景には、愛と服従、性的快楽と暴力が複雑に絡み合う闇が存在していたのである。
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