1978年から1980年、アメリカで若い男女11人が命を奪われた。加害者はジェラルドとシャーリーン夫妻。家庭環境や過去の性癖が絡み合い、異常な性嗜好と暴力が結びついた悲劇は、血も涙もない残虐なものとなった。夫婦はなぜ殺人の快楽に溺れたのか⋯⋯? 前編では「2人の出会い」に迫った。文庫『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
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11人を殺害した夫妻
1978年から1980年にかけてアメリカで10人の若い女性と1人の青年を殺害した一組の男女がいる。ジェラルドとシャーリーンのギャレゴ夫妻。
裕福な家庭に生まれ育った女が、異常性愛者の男と出会ったばかりに起こった惨劇は、まさに血も涙もない残虐非道なものだった。
ジェラルド・ギャレゴは1946年、カリフォルニア州サクラメントで売春婦の子供として生まれた。当時、父親は罪を犯し刑務所に収監中だったが、1955年に脱獄し、ミシシッピ州で警察官を殺害、死刑判決を受けガス室で処刑された。ジェラルドはこの事実を知らぬまま育ち、母親が自宅に呼ぶ男性客から頻繁に性的虐待を受けていた。
劣悪な環境から当然のように素行は悪くなり、10歳のとき近所の家に金目的で侵入し、13歳で6歳の女の子を強姦。年齢を考慮され逮捕は免れたものの、以降も窃盗やレイプなど犯罪の道を突き進む。
トラックの運転手として働いていた18歳のとき結婚し、1人娘が誕生。妻子を持つ身として真っ当な人生を歩んでもおかしくないところだが、小児性愛者のジェラルドは娘に発情し、彼女が8歳のとき欲望を抑えきれずにレイプに及ぶ。以来、毎日のように娘を犯し、やがて家庭は崩壊。妻子とは別れたものの、ハンサムな彼は女性に不自由せず、1978年までに結婚と離婚を7回繰り返す。
その間、強盗、強姦、近親相姦などの罪状により27回も逮捕状が出ていた。
