物語の“敵”を切り捨てない優しい視線

 物語の中で観客がそれぞれの読解力に合わせて解釈できる多層レイヤー構造にする、というのは『ズートピア』などでディズニーのトップレベルの脚本家たちが見せる技術なのだが、中国の若いスタッフたちがそれを見事に自分のものにしているのだ。

『羅小黒戦記2』を見ていると、映像もさることながら、その脚本のあまりの見事さにチェスや将棋の名人の棋譜を見ているような気分になる。一つの駒、ひとつの台詞にいくつもの意味が重ねられ、スリリングな状況描写とエモーショナルな人物描写が一石二鳥三鳥のように同時進行で描かれていく。しかも驚かされるのは、これだけクレバーな脚本の書き手にもかかわらず、登場人物たちに対する視線が温かく優しいことだ。

 若く優秀なクリエイターほど、物語の敵役を愚かな人物として切り捨てて作品のメッセージの優越性を担保したくなるものだ。だが強硬派のチーネン長老に対する描写も、『羅小黒戦記』の脚本は繊細なのだ。物語の山場で、最強の妖精であるナタがチーネン長老の腰をパンと後ろから叩いて状況の変化を告げる仕草が何度か繰り返されるのだが、あの仕草は不良少年のボスやガキ大将が年下に対して「お前のバックには俺がいる、そう心配するな」という仲間意識のサインであり、チーネン長老の意志が変化する時にも彼を孤立した愚かな悪役として描かず、物語上でも観客に対してもケアしているのだ。

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 あるいは物語序盤から中盤に登場する二人組、甲と乙の描写もそうだ。監視役としてつけられた二人組は物語上の主役ではないが、ルーイエとシャオヘイが決裂した時にルーイエの過去を語る時、シンプルな絵であるにもかかわらず、アニメでこれほど複雑で繊細な表情が描かれたことが何度あったろうかというほど物憂げに沈んだ表情を見せる。それはルーイエだけでなく、甲と乙の二人にも人類に対する複雑な感情があることを丁寧に描写しているのだ。

甲 『羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来』公式サイトより
乙 『羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来』公式サイトより

「荒削りな部分がなくて……ちょっと本当に、不思議、謎。(若いクリエイターは)絶対もっと荒削りになるはずだけど、どうしてそうなっていないのかというのは本当にちょっと、聞いてみたいですね」と、前掲の2019年のラジオの中で井上俊之氏は前作について語っているのだが、『羅小黒戦記』は若いクリエイターの脚本とは思えないほど円熟し、すべての人物に対する視線が温かいのである。

 しかも、そうした現代的に情報を圧縮した知的な構造と、クラシックでまっとうな「人文知」を両立させる若い書き手は、中国の名門大学を出たエリートではなく、ビリビリ動画のWEBアニメという中国ネットの路上から現れた才能なのだ。それは日本で言えば、徳島県に生まれニコニコ動画のボーカロイドPから表現をはじめ、今や浅田彰や教養書籍を読み漁り情報の瓦礫から「人文知の再構築」を独力でなそうとしているかに見える米津玄師をどこか思わせる。

『ズートピア』に匹敵する中国アニメの名作だ

『羅小黒戦記2』の忘れられない演出がある。前述したようにこの作品ではキャラクターの影をほとんどつけない。大クライマックスのムゲンと軍事基地の最新兵器の衝突で雪が蒸発し、あたりが真昼のように照らされるシーンでさえ、影がつくのはキャラクターの身体だけにして、顔の輪郭の中には影を描かない。それはアニメにおいて「顔の影」が心理描写でもあることを作り手が意図しているからだ。数少ない「顔の影」が描かれるのが冒頭で人類との戦いに臨むダーソン(大松)、そして戦争で村を焼かれ、泣き叫びながらムゲンに殴りかかるルーイエの顔なのである。

 同時に、このアニメでは「ハイライト」の使用も場面が絞られている。人類側の兵士が持つ兵器にも黒光りのハイライトはなく、ルーイエを刺そうとする刺客の刃物にすらハイライトの光はない。背景処理などをのぞけばほとんどのシーンにおいて、ハイライトが描かれるのは人物の瞳の中の光と、若木を使った妖精を殺す霊力弾丸、そしてもうひとつ、随身鉄と呼ばれるムゲンが操る特殊な金属だけだ。それは精神が放つ特別な光の象徴だからである。

 物語のラストシーン近く、ムゲンから免許皆伝のような形で随身鉄を贈られ涙を流すルーイエの顔には禁をやぶるように影が描かれ、随身鉄はなめらかなハイライトの光が描かれる。それはこの物語でその光と影の出会い、戦争遺児の心の傷と師匠の示す理性の光が交差する瞬間が最も重要な場面であるからだ。

 徹底してストレートで押していく演出で通してきたからこそ、物語の最後で光と影が出会う演出が落ちるフォークボールのように生きる。しかもその演出には「泣ける」とか「エモい」の感情刺激だけではない、戦争遺児に対する深い理解があるのだ。

 これほど見事に映像と脚本と演出が統一された作品は世界でも多くない。個人的にはハリウッドの『ズートピア2』に匹敵する名作だと感じる。今作のパンフレットで大爽氏が「そもそも『羅小黒戦記』は日本の観客だけではなく、中国の観客にとっても新鮮な作品だったんじゃないかなと思います」と語るように、彼らは中国アニメ界においても「オーパーツ」的存在なのかもしれない。もし劇場で見るチャンスがまだあるのなら、ぜひその目で見てほしい。

公開中の『ズートピア2』公式サイトより

 では『ズートピア』『アバター』に匹敵するファンタジーで、若いアニメーション作家はいったい何を語ろうとしているのか。後編ではその物語の政治的隠喩について書いてみたいと思う。