「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。
そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。
今回は必死に闘病する大野さんが、医師から「余命1カ月」を宣告される場面を抜粋して紹介する。
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「子どもたちは吐きながらやります」
(知人の)明美たちの見舞いを受けた翌日から、寿子は体調をさらに崩した。冷蔵庫の前でしゃがみ込み、立ち上がれない。ひどい下痢で服を汚してしまい、涙をこぼした。がん細胞が小さくならない状況にいらだちを覚える。紙おむつをして病院に向かい、医師に言った。
「薬が効かないなら治療をやめようかと思います」
「いつでもやめられますよ」
主治医は優しく答え、『メイク・ア・ウィッシュ 夢の実現が人生を変えた』(寿子の自著)を読んだと話した。
「子どもたちが頑張っている姿に涙が出た。今は妻が読んでいます」
寿子は治療を続けようと思った。
「子どもは自分で選択できません。お母さんに『頑張ろうね』って言われたら、やるしかないんです。子どもたちは吐きながらやります。それを思いだしたんです。こんなことくらいで、へこたれてはいけないって」
熱が出て、下痢と吐き気が治まらなかった。脚の力がなくなり、手足に力が入らない。茶碗を持つのもつらくなった。日記には〈苦しい〉とつづった。
そして、2024年6月17日に「最期の大野プロジェクト」初日を迎える。寿子がフェイスブックやラインで告知すると、情報はみるみるうちに拡散した。新聞も報じたため、ネット上に事前開設していた申し込みフォームから、注文が相次いだ。
自宅では知人からの電話が鳴り続け、(夫の)朝男はその対応に追われた。寿子はさっそく増刷を決める。プロジェクトは期待以上の出だしとなった。
