アマチュア強豪との戦い
出会いから2年ほどが経って小学4年生になると、羽生はもう道場でも指折りの腕前になっていた。さらに強い相手を求めるため外へ向かった。大手デパートで開催される将棋トーナメントに参加しては勝ち進んでいったのだ。まだ10歳ながら決勝まで進んだこともあった。そうして大会から大会へと渡り歩くうちに赤い帽子の少年は大会関係者の間でも知られるようになっていった。
そんなある日、いつものように馴染みの居酒屋に行くと、アマチュア五段という腕前の常連客が八木下を待っていた。八王子将棋クラブにも通っている強豪だった。先日、女将から何気なく天才少年のことを耳にしたというのだ。
「そんな子がいるはずがないよ」
その客はとても信じられないという顔で首を傾げた。八木下は本当なのだと訴えた。すると、五段の男は言った。
「分かった。じゃあ今度、俺とやらせてみなよ──」
五段の強豪と10歳の少年との対局は数週間後、八王子将棋クラブで実現した。駒を落とすことのない平手での勝負だった。当初はさすがにまだ無理か……との思いがよぎったが、その頃の羽生は四段の八木下でも負かされてしまうような実力になっていた。何より、自分よりも強い相手を求める少年にとっては断る理由などないような気がした。盤を挟んで向かい合った二人は一見すると、そのまま大人と子供であった。身体の大きさも段位も年齢もあまりにかけ離れていたが、勝ったのは羽生だった。
五段の強豪が呆れたような顔で声をあげた。
「この子、すごいよ……。奨励会、受けなよ」
その言葉に八木下はハッとした。それはまさに自分が少し前から胸に秘めていた考えだったからだ。
奨励会とは日本将棋連盟の棋士養成機関である。全国各地から天才と呼ばれる少年が集まり、プロへの狭き門をめぐって競い合う。もし試験に受かって入門できたとしてもそこからさらに過酷な競争が待っている。そこでは夢を手にできるかもしれないし、逆に失うかもしれない。むしろ確率で言えば、圧倒的に後者の方が大きいだろう。だが、八木下はこの少年ならば駆け抜けてしまうような気がした。だからある日、意を決して羽生の母親にこう切り出した。
「羽生くんに、奨励会を受けさせるお気持ちはありませんか──」
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あとがき
「八王子将棋クラブ」の八木下征男さんは、この本の刊行後、2024年11月26日、81歳で逝去されました。謹んでお悔やみを申し上げます。また、この時、羽生九段はXで次のように追悼しています。
八木下征男様の逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。先生の穏やかな思いやりに溢れた励ましの声が今でも聞こえてくるようです。こんなに早く別れの日が来るとは思わず、残念でなりません。子供の頃から大変にお世話になり、自分が将棋の道に進むレールを敷いて下さった恩人です。
また、多くの子供達に良い影響を与えて育てて下さった先生のような人でもあります。いつも朗らかで安心感のある存在でした。将棋クラブで過ごした日々はかけがえのない思い出です。八木下さんとの出会いがなかったら将棋を続けていなかったと思います。大恩人です。
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