――まさに多国籍な製作環境ですね。この作品は、いわゆるアート系の映画祭を意識して作られたのですか?
リム そうですね。最初は一般劇場公開するという考えは持っていなくて、新人監督としてまずは映画祭に出すことを考えていました。映画祭で賞を獲った方が、その後の道が開けやすいんじゃないかと思って。だからアート系の作品になったんですけど、逆にアートすぎて映画祭にあまり受け入れられなかった(笑)。
黒沢清監督に救われた
――そうだったんですか。
リム 釜山とかロッテルダムとか、新人監督を表彰する映画祭はいっぱいあるんですけど、全部落とされてしまった。当時はマレーシアの映画監督であれば、マレーシアで撮影して、マレーシアの社会や文化を反映しているような映画の方が、映画祭で受ける傾向があったんだと思います。
とても残念だったんですが、でも幸いなことにこの映画が完成してすぐ、黒沢清監督と出会う機会があったんです。大阪でCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)というのがあって、インディペンデント映画に助成をしてくれる。そこに企画を出したんですが、その審査員が黒沢さんだった。審査のために過去の作品を提出する必要があって、『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』を出したんです。そうしたら、すごく気に入ってくれました。
――黒沢監督が。
リム はい。「傑作ですよ」と言われて。新人監督を表彰する映画祭にことごとく落とされていたので、黒沢さんに気に入ってもらえたことで、本当に救われたというか、自信がつきました。そのおかげで助成金が下りて、大阪を舞台にした『新世界の夜明け』(2011)を撮ることになったんです。結局、『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』を観て出資者が現れたので、2010年からの1年間で2作目の『マジック&ロス』(2010)、そして『新世界の夜明け』の3本を作ることになりました。
