リム アイデンティティの恐怖みたいなものを、当時実際に感じていたんです。僕はマレーシアで生まれ、世界の最先端の国だと思って日本の大阪大学に留学しました。それからマレーシアに帰るのは2年に1回くらいになり、大学を出て東京でエンジニアとして就職してからはもっと帰らなくなりました。故郷と離れている時間が長くなり、時折帰るときには「もし家族が自分のことを忘れていたらどうしよう」という恐怖を感じていたんです。
そのあと、やっぱり好きな映画を自分でも作りたいと思って、6年間勤めた会社をやめて北京の映画学校に留学しました。北京に行ってからは年に数回マレーシアに帰るようになりましたが、どこか自分の居場所ではないような感覚があった。
僕の実家はワンタン麺の店をやっているんですが、その店を継いだ母の弟、つまり僕の叔父さんは、一度も海外に行ったことがない人なんです。彼と話すといつも「羨ましい」と言われる。「あなたは日本とか中国とかあちこち行ってていいね。どんな国なの?」とよく聞かれます。彼はよその世界に憧れながら、ずっと同じ場所で同じことを繰り返している。
ずっと海外にいる僕は自分が故郷で忘れられるかもしれないという恐怖を持っていて、一方で外の世界に憧れながらそこから動かない中年男性がいる。その2つを合わせて、この映画の発想が生まれ、脚本を書きました。
香港・北京・上海を転々としながら仕上げたデビュー作
――製作は大変でしたか?
リム 出演者やスタッフは学校の仲間や知人に頼みました。製作費は僕の貯金です。撮影自体は楽しく順調に進みましたが、その後の編集作業に結構時間がかかりました。なにしろ当時、僕はまだパソコンを持っていなくて、編集でクレジットされている2人のパソコンを借りて編集していたんです。フィリップ・リンは香港に住んでいたので、まずそこに居候しながらラフの編集をやりました。次に北京に住んでいた奥原浩志さんのアパートに居候して、いろいろ教えてもらいながら編集しました。音は上海のアルバート・ユーの家に2ヶ月ぐらい居候して作業しました。結局、完成したのは2010年の3月でした。そして香港国際映画祭でワールドプレミアをしました。
