美貌で評判に、15歳で舞妓デビュー

たつの「姉さん」(先輩)になったのは当時もっとも隆盛を誇った名妓の1人、八千代。とはいえ風呂のお供から化粧の水の用意までさせられるばかりで、人気芸者らしく八千代はたつを歯牙にもかけなかった。

たつはときどき見習いとして宴席に出たが、暇さえあれば禁じられていた『文藝倶楽部』などを手にとった。芸者の悲恋物語などを読んでぼんやりと恋に憧れた。

15歳のとき、いよいよ千代葉として舞妓デビューとなった。髪型も着物もすべて京都風につくり、お披露目の日は朝から23時まで座敷を回って、ついてきた常どんをふらふらにさせた。

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また「ご祝儀の式」の費用は本来は姉さんの八千代の旦那が負担するところを富田屋が自前で出したほど、千代葉に力を入れていた。実際、衣装をつけた千代葉は見違えるほどに美しく、日本画から抜け出てきたようであった。

照葉と恋仲になった歌舞伎役者・二代目市川松蔦(1886~1940)(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

姉分の八千代が照葉にしたひどい仕打ち

宴会予約は引きも切らずやってきた。それを面白く思っていなかった姉さんの八千代は、デビュー1カ月半後の千代葉を呼び出して、旅館に連れて行った。待っていたのは八千代の舞妓時代の旦那。八千代は千代葉に囁いた。

「分かってるやろ……あんたもあれだけ見習いもしてきているのやさかい、舞妓に出たらどう、というぐらいの覚悟はしているやろ。姉ちゃんら、あんたの年より1年も前に、役目をしたんだっせ。またあんたに、こうして役目をさすのが、あての役目やさかいに、これだけは聞いてもらわんと、あての役目が済まんねん」(『黒髪懺悔 照葉手記』)。

こうして突然、千代葉はほとんど知らない男性相手に「役目」をさせられることとなった。まだ月経も見ない年齢だった。後に、八千代が加賀屋の義母も常どんも通さずに勝手に決めてしまったと知った。

そんなことがあってから、千代葉は警戒するようになった。幸い、人気があったので我儘(わがまま)も通すことができ、紳士的な旦那らとだけ接していたものの、先方が処女だと思いこんで優しく接していることを知ってつらかった。