仲居もおかみさんも寝静まり、1人になった千代葉はそっとおかみさんの鏡台から剃刀(かみそり)を取り出した。そして出血を防ぐために三味線の弦を1本切って左の小指に強く巻いた。洗面所に忍び込むと剃刀を静かに左の小指の上に乗せ、手元が狂わないよう舞の扇の「要返し」の持ち方で上からハンカチをのせて右手で叩きつけた。切れたかわからなかったので3、4回叩きつけるとハンカチが血に染まり、見てみると剃刀が指の真ん中まで埋まっていた。

指を詰めたことで良くも悪くも有名に…

すぐに切れた指をハンカチで包んで袂に入れ、タオルで巻いた手を袖に隠して音峰のいる玉突き場に行くと「これあんたにあげまっさ」と男の手に指を掴ませて飛び出した。驚いた音峰が追いかけてきてすぐに病院に連れていかれたが指も音峰も再びくっつくことはなかった。

大阪に居づらくなった千代葉は、常どんの手引きで東京新橋の新叶屋に5年3000円で預けられた。その際、富田屋の籍を抜かれ常どんの養女にされた。姉さんの八千代が指を詰めるような女は妹分にしたくないと騒いだようだった。

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かくて1911(明治44)年7月、千代葉は半玉(舞妓の関東での呼び名)の照葉となった。

この時点でもまだ16歳だった。

男のために指を切った半玉を見ようと照葉の人気はうなぎのぼりになった。ブロマイドがよく売れ、複製が出回ったために撮影時の話の聞き取りに照葉が裁判所に呼び出されるほどだった。

雑誌には1回の座敷に2000円を払った某、1500円を払った某と書き立てられた(「照葉の引っ張り凧」)。落籍の話はいくつもあったが、照葉は妾では嫌だった。正妻になれなくても、せめて妻のない男に身請けされたいと強く願った。

平山 亜佐子(ひらやま・あさこ)
文筆家
文筆家、挿話収集家。戦前文化、教科書に載らない女性の調査を得意とする。著書に『20世紀破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社、ちくま文庫)、『戦前尖端語辞典』(編著、左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)、『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』(左右社)など。
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