日本とネパールに妻子を持つ二重生活の末、北海道で妻と生後6カ月の娘を殺害したネパール人男性。その生い立ち、隠された家族、暴力の連鎖——取材で浮かび上がった“歪んだ素顔”を追う。犯人のその後を、文庫『戦後日本の凶悪犯罪』(宝島社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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「口減らし」のために職人に弟子入り
彼はネパールの首都カトマンズからバスで2時間、さらに山道を2時間ほど歩いたマットラという山村で生まれた。ネパールでは今もカースト制度が人々の生活を縛っている。シュアムはカースト制度のなかで最下層に位置する鍛冶屋のカーストに属し、村の一角に彼の一族が固まって生活していた。指輪などをつくる銀細工の職人は、鍛冶屋のカーストが担っている。
10歳の頃に彼は村から首都のカトマンズへ出て、1人の銀細工職人のところに弟子入りし技術を学びながら働いた。彼の一家は“土地を持たない”ために生活が厳しく、シュアムがカトマンズで職人に弟子入りしたのは“口減らし”の意味もあった。私は、カトマンズで今も銀細工職人を続けている、シュアムの師匠を探し当てた。
「村から出て来た当初は真面目に働いていたけど、数年して仕事を覚えると、酒を飲んだりタバコを吸い始めて、どんどん生意気になっていったよ。結局私の家から30ルピー(当時のレートで60円)ほどの金を盗んで出ていったよ」
さらに取材を進めていくと、驚くべき事実にぶつかった。シュアムは智江さんと出会ったときにはすでに妻子がいたというのだ。
