そうして、眼病も快方に向かったお信のおかげで、八雲はセツとの運命的な出会いを果たすことになる。

お信がいなければ、八雲とセツは出会わなかった

もともと、セツがどのような経緯で八雲の女中として雇われたかは、はっきりしていない。

前述の桑原の取材では、ツネが「お信の友達に小泉セツさんという士族のお嬢様があり」と証言したことが記されている。ところが、セツ自身が記した『思ひ出の記』には「宿の小さな娘が眼病を煩っていましたのを気の毒に思って」とあり、友人という関係ではなかったようだ。

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長谷川洋二『小泉八雲の妻』(松江今井書店1988年)では「お信が、人伝にセツのことを知り、住み込み女中を求めているハーンの話がセツに伝わった、といったところが想像されるのである」と推測している。

つまり、友人というほど親しい間柄ではなかったが、お信が仲介役となってセツに話が伝わったということだろう。少なくとも、お信がいなければ、八雲とセツの出会いはなかったかもしれない。そう考えると、この15、16歳の少女は、八雲の人生において決定的な役割を果たしたことになる。

そうした八雲の人情こそが、セツとの間に深い信頼関係が生まれる原点だったのではないか。

一貫した姿勢が、セツの心を動かしたか

セツは士族の娘とはいえ、没落士族である。父は早くに亡くなり、家計は苦しく、住み込みの女中として働かざるを得ない境遇だった。つまり、彼女もまた社会の弱者だった。

八雲が、身分も人種も違うお信という少女のために怒り、私財を投じて救おうとする姿を、セツは間近で見ていたはずだ。あるいは、お信から直接その話を聞いたかもしれない。

外国人教師という権力ある立場にいながら、弱い者を決して見捨てない。むしろ、不正義に対しては激しく怒る。その一貫した姿勢が、セツの心を動かしたのだろう。

八雲という男は信じられる。この人は私を裏切らない。そう確信できたからこそ、セツは言葉も文化も異なる外国人との結婚という、当時としては途方もない決断を下せたのではないか。

お信への献身は、単なる美談ではない。それは、八雲の根にある「弱者から決して目をそらさない」という資質そのものの証明である。

そしてその資質にこそ、セツは自分の人生を預けたのだ。

昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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