「改造車チーム」に対する職場の意外な反応

――ご自身の周りの反応はどうでしょう。たとえば職場の方は、この活動を知っているのですか?

A氏 みんな知っていますよ。「動画見たよ」とか「すごい数字になってるな」とか、面白がって見てくれています。

――改造車というと、職場によっては偏見をもたれるケースもありそうですが。

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A氏 そこはむしろ、評価してくれている部分もあって。「自分たちが面白いと思う価値観を、興味がない人にどう届けるか」という点は、本業のビジネスにも通じるスキルなんですよね。

職場でも改造車集団の代表を務めていることが知られているのだとか

――なるほど、マーケティング的な視点ですね。

A氏 そうなんです。どういう切り口であれば、その世界を知らない人にも関心をもってもらえるか。そういう工夫を続けながら、実際の反応を見て、課題を見つけていく。これは市場のニーズを把握して、ビジネスを改善していく視点にもつながりますからね。

仕事もプライベートも全力、その原動力

――仕事以外の場でも常に改善を目指す、という姿勢には頭が下がります。ただ個人的には、「疲れそうだな」とも……。

A氏 いや、やっぱり疲れはしますよ(笑)。色々やることが終わると、スイッチが切れたように動けなくなったり。

――それだけ限界まで動いているわけですね。そういった物事への取り組み方は、以前からのものですか?

A氏 高校生くらいまでは、何も考えずにというか、いわゆる「バカをやる」ような生き方をしていたんですけどね。価値観が変わったのは、母を亡くしてからだと思います。

――お母様を、ですか。

A氏 もともと私が中学生の頃に両親は離婚していて、母は女手一つで私と弟を育ててくれていたんです。当時から糖尿病を患っていてインスリン注射が欠かせない状態だったのですが、私が大学に通っている頃に卵巣ガンが見つかって。わかったときにはもうステージ4でした。 

匿名集団A氏。着用するパーカーはチームのオリジナルアイテム

――転移がかなり進んでしまっていた。

A氏 結局、助からず、亡くなったあと、遺品を整理していたら母の日記が出てきたんです。私が生まれてから、毎日欠かさず書かれていました。

 それを読んではじめて、母がどれだけ身体の辛さを押し殺して、必死に私たちを育ててくれていたのかを知ったんです。同時に、母の苦労について何も知らずにいた自分に対し、無性に腹が立ってきたんですね。