『ジートコヴァーの最後の女神たち』(カテジナ・トゥチコヴァー 著/阿部賢一・豊島美波 訳)新潮クレスト・ブックス

 時代の端境期を舞台にした物語の多くは、淘汰される古き良き時代と、これから訪れる無味乾燥な新時代を読者に予感させる。ディケンズほど筆が立つ作家なら、貧しかった旧時代をノスタルジックに美化しつつ、同時に新時代への希望をも描き出してくれる。

 しかし、時の流れが不可逆である以上、旧時代の敗北という大局は変えようがない。古い時代に生きた人々の習慣や信仰は、社会の発展とともに忘却の彼方へと押しやられる。私たちはそれらを旧弊や迷信として忌避することもできるし、あるいは逆に研究者のように憧憬を抱くこともできる。

 本作の主人公がまさにそうだ。チェコのジートコヴァーと呼ばれる地域の寒村で育った民族学者のドラは、()の地に古くから暮らす「女神」の血筋だ。かつて実在した女神たちは、天気を操ったり、未来を予言したり、他人に呪いをかけたりと魔法使いも同然の存在だが、じつは薬草などを用いて人身を癒す民間治療師だ。

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 幼いころに母親を父親に殺害されたドラは、そんな女神である伯母に引き取られた。長じて学究の徒となった彼女はある日、同僚との何気ない会話から伯母の過去に対して不審を抱く。

 伯母は旧共産主義体制下で秘密警察の手先だったのではないか。今や時代は変わり、封印されていた資料が閲覧可能となった。ドラは研究者魂を発揮し、入手可能なありとあらゆる資料を精査して、故郷で女神と呼ばれていた人々の実像に迫る。

 伯母はなぜ当局に狙われたのか、なぜ精神病院で死なねばならなかったのか。家族の歴史を掘り下げ、自身のルーツを探求するなかで、驚くべき女神たちの相関図が立ち上がってくる。

 伯母の秘密に迫るドラの学術的奮闘は、大戦中のナチスの占領から共産主義体制を経て民主化に至るまでの、チェコスロヴァキアの苦難の歴史を抜きにしては語れない。すべての独裁体制に共通するグロテスクさを、作者は女神たちの受難をとおしてつまびらかにする。独裁体制はみな同じ面貌をしている。密告と、たゆまぬ体制礼賛。たとえばこの物語の舞台をロシアや中国に置き換えたとしても、まったく違和感はない。

 独裁体制は体制以外の権威を認めない。よって、民草に頼られる女神の存在は看過できない。彼女たちの治療行為にはなんら科学的根拠がなく、新しい時代にそぐわない。ドラにしても、女神たちが体現する前近代的な風俗を肯定するいっぽうで、近代的な価値観にがんじがらめになっている。だからこそ、やがて明らかになる真相は彼女にとって理解しがたいものだった。

 ときに迷信は科学に嚙みつく。旧時代が牙を剝く。時代が変わっても、人間の精神には合理化できない原始的な暗がりが残る。女神とはその領域を象徴するもの。人智を超えたものに対する作者の畏怖の念が結実した卓越したミステリーだ。

Kateřina Tučková/1980年生まれ、チェコのモラヴィア出身。2006年小説家デビュー。さらに美術史家、評論家、劇作家としても活躍。12年に刊行された本書は、多くの賞を受賞しチェコでベストセラーとなったほか、約20の言語に翻訳されている。
 

ひがしやまあきら/1968年台湾生まれ。『流』で直木賞、『僕が殺した人と僕を殺した人』で読売文学賞等を受賞。新著に『三毒狩り』。

ジートコヴァーの最後の女神たち (新潮クレスト・ブックス)

カテジナ・トゥチコヴァー ,阿部 賢一 ,豊島 美波

新潮社

2025年9月25日 発売