2026年の大河ドラマは、豊臣秀長(秀吉の弟)の人生だという。それは、日本の公共放送局がこう信じたことを意味する。1996年というバブル崩壊直後に一度ドラマ化した秀吉のサクセスストーリーに、“失われた30年”で苦しみ抜いた2026年の日本人の関心から、天才的ヒーローではない、努力型・調整型の(現代日本人の鑑のような)弟の視点で触れ直すことが、日本人にとって有益だ、と。この現象は歴史の問題ではなく、2026年の日本社会の問題である。

豊臣秀吉 ©時事通信社

実はエピソードに乏しい豊臣秀長

 その30年間に、新史料の発見や分析手法の深化などによって、歴史学も進展した。そこで最新の秀長関係の研究状況をざっと確認してみると、興味深いことが判った。現状では、秀長について重要なことがほとんど何も判らないのだ。彼の父親も、人柄も、政治家・武将としての能力や特性も判らない。確認できるのはただ、秀吉に従って、大和郡山(やまとこおりやま)を領したのをはじめとして、有力大名として至極当然の仕事(取り次ぎ・従軍・行政)を行った形跡だけである。本や雑誌・ネット記事を読むと、秀長を主題にしているのに、大半(実感では8割方)が秀吉や織田信長の話で埋められている。秀長自身に事跡(の記録)が乏しい証拠である。

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 名補佐役ともなれば、普通は具体的なエピソードが豊富にある。例えば鎌倉幕府の執権北条義時を補佐した大江広元(おおえのひろもと)。彼は、朝廷との対決という前代未聞の危機でただ一人、先制攻撃を主張して幕府に勝利をもたらした。あるいは、室町幕府の初代将軍足利尊氏を補佐した弟直義(ただよし)。彼は、優柔不断で細かい行政が苦手な尊氏の代わりにそれを一手に引き受け、高邁で保守的な理念のもと、公正無私の「政道(せいどう)(政治の正義追求)」に半生を捧げた。あるいは、幼少の七代将軍足利義勝(よしかつ)を補佐した管領細川持之(もちゆき)。彼は、六代将軍義教が暗殺されて混乱の極みに陥る室町幕府を維持する責任を背負い込み、協力者を募って、右往左往しながらもやり遂げた。彼らには資質・実力を皆に納得させるエピソードが山ほどあり、疑いようのない実績があり、それらの大部分を信頼できる記録で裏づけられる。